エッセイ・ポートフォリオについて

長女が受検を行った際、後から振り返って「やっておけばよかった」と考えたのがこの、「エッセイ・ポートフォリオ」という試みでした。

 

機関投資家や運用会社による運用の現場では、彼ら投資家が保有するポートフォリオ(保有する株式や債券等の集まり)全体の、様々な市場変動要因(株価の下落、物価・金利の上昇、対ドル為替レートの上昇等)に対する感応度を用いてポートフォリオの変動特性やリスク量をチェックするようです。

 

お子さんご自身を「ポートフォリオ」に見立てると、与えられたテーマに沿って書かれた作文や、適性検査に典型的な、異なる二つの意見について自身の経験を交えて自身の考えを述べる事が求められる記述試験への解答はまさに「様々な市場要因に対する感応度」に該当するように思います。

 

「自分のことは自分が良く知っている」と言いますが、実際には、自分を理解するのはとても難しい事です。

 

時間の経過やその日の気分によっても変わりますし、日常的・具体的な問いに対してある程度明確に答えられても、「そのような答えを発する自分そのものは何者か?」と問われると、答えに窮してしまう方は多いのではないのでしょうか?

 

公立中高一貫校受検は、とりわけ「自分と向き合い、考えること」が要求される場面が多いように感じます。東葛中の場合には志願理由書の提出やグループ面接での発言が求められますし、筆記試験でも「どこかでインプットした知識を披露して終わり」とは異なる形で記述問題が出題されます。

 

そしてこれは、公立中高一貫校受検の良い面でもあるのではないでしょうか?

 

私は自身の私立中学受験経験のいびつさ、つまり、「普段の生活から湧いて出る問題意識や興味から乖離した、そのくせ同い年の普通の子は学ばないような瑣末な知識を、『偏差値の高い学校に入る』という目標のためだけに詰め込んで行くことのいびつさ」を大人になってようやく自覚しました。

 

そのような受験経験の中で自分を見つめ直す、ましてや自分が今やっていることの意味を見つめ直すことなどなかったように思います。

 

それはその方が効率が良いし、もともと「日常の感覚から乖離した仮想現実空間でのゲーム」という感覚が強いので、そこに意味を求めるなんて発想が起こりえないわけです。

 

おそらく「ドラゴンクエスト」の世界観に意味を問いながらゲームを続ける人がいないのと同じなのだと思います。

 

一方で、適性検査の方は、いちいち自分の経験を踏まえつつ2つの異なる考え方に対して自分の見解を論じなければなりませんし、「工程録 その4」で引き合いに出したように、日本の林業について暗記していた知識を記述するのでは飽き足らず、林業をより良くするための意見を書かされます。

 

さらに、実際には筆記試験の出来で合否がほとんど決まってしまうはずなのに、2次検査までに志願理由書なんてものを出さないといけないし、適当に片付けようと思ったら、塾の先生からしつこく何度も書き直しを迫られるわけです。

 

つまり、適性検査対応を通じて自身への問い、即ち「様々な市場変動」がぶつけられ、その問いに対する自身の答え、即ち「市場変動への感応度」を確認する事が出来るのです。

 

これらを集めていけば、立派な「ポートフォリオ診断書」が出来上がるのではないでしょうか?そしてそれは適性検査2次検査の筆記問題や志願理由書の作成、グループ面接にも役立つのではないでしょうか?

 

長女の際には時間が無くてできませんでしたが、小学5年生で作文教室を始めたあたりからこのエッセイ・ポートフォリオを作っていく作業を意識されると、2年間で得られるものは大きいのではないかと考えます。

 

そしてそれはそのままお子さんの「受検奮闘記」にもなるのではないでしょうか?

 

最後に、「様々な問いに対する自分自身の答えを確認していく事で自分を知る、あるいは自分を確立して行く」という視点で書かれた興味深いワークブックを紹介します。

 

「読書を通じた長女とのコミュニケーション」でご紹介した藤原和博氏が中学校で実践されていた「200字意見文トレーニング」です。

 

https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/wakaba-sakubun/entry-11573282057.html