長女の卒業と長男の進路選択

■長女の卒業と長男の進路選択

早いもので長女も先日卒業式を終え、4月には大学生になります。

 

物理・化学選択で二次試験ではかなり数学に傾斜した配点と、JKには胃もたれしそうな志望校・学部ではありましたが、何とか胃袋におさめ、合格できました。

高校生ともなると親の出る幕もなく、友人から常に刺激をもらい、中学から伴走して下さった先生方にも支えられて自ら切り拓いた進路。

四月からはゆったりとした気持ちで路傍の景色も楽しみながら歩んでもらえたらと思います。

 

そんな長女の選択とその大変さを間近で見聞きし、その道を選ばなかった長男もこの春には中学3年生。先日初めての進路希望調査がありましたが、長男が自ら探し出した答えが「高専受験」。

 

「自分一人でこんな答えをよく見つけてきたな」と我が子ながら感心しきり。

ロボコンで耳にするくらいで全く知らなかった高専ですが、いろいろと調べていく中で長男の志向、性格にばっちりとあっているのが分かり、「塾に通いたくないから試験勉強を頑張ってきた」長男もとうとう4月から高専専門塾に入塾することになりました。

 

ここはもともと「公立一貫校受検」の情報の少なさに不便さを感じて立ち上げたブログでありますが、「姉に比べられたくない、一緒の道を歩きたくない」長男が選択した「高専受験」というのもまた、非常に興味深いわりにあまり知られていない道だと思いますので、私が調べた範囲で別の機会に紹介したいと思います。

 

■受験・受検とは結局何だったのか?〜園田氏の論文を引き合いに〜

ここで閑話休題

直近何回か、長女と長男の対称的な志向・選択なども踏まえ、自分そして子供が取り組み乗り越えてきた受験・受検とは結局なんであったのか?ブレーンストーミングしてきましたが、今回はその核心に触れていると思われる園田英弘氏の論文「学歴社会ーその日本的特質」

www.jstage.jst.go.jp

を引き合いに考えてみたいと思います。

園田英弘氏(1947-2007)は国立民族学博物館助教授や国際日本文化研究センター教授などを勤め、1994年に「西洋化の構造」でサントリー学芸賞を受賞した日本の社会学者です。

「学歴社会ーその日本的特質」は1983年に日本教社会学会が発行する「教育社会学研究」に掲載されたかなり昔の論文であり私もネットでたまたま見つけたものですが、分析の切り口が鋭く、私自身が感じていたものともよく合致するので紹介させていただきます。

学歴獲得がもたらす将来的利益に必ずしも比例しない日米欧の受験競争の度合い

園田氏は冒頭、学歴獲得がもたらす生涯賃金の差が日本よりも米国においてより顕著であるにもかかわらず、なぜ日本においてより受験競争が加熱しているのか?と以下のような問題提起を行います。

人間が、社会学が大前提として仮定しているように、高い社会的威信や経済的報酬の最大満足を求める存在であるとするならば、日本の受験競争は、与えられる報酬のわりには非合理的なほどに激しく、逆に、欧米の社会は、非合理的なほどに、受験競争が不在なのである。日本でことさらに、受験競争を促進させている要因があるとすれば、それは何か。そして、欧米に日本的な受験競争を促進させないなにものかがあるとすれば、それは、一体何か。

そして園田氏は以下のとおり、学歴という業績原理の導入が、社会的地位が世襲によって決められる身分制の崩壊過程において「残存する身分制との対立・融合」という形で行われてきたことに着目し、その残存する身分制との対立・融合のあり様の違いすなわち「社会階層構造」の比較分析によって冒頭の問題に対する解が得られるのではないかと考えます。

学歴が社会的地位の形成に大きな影響力をもつためには、社会的地位が世襲によって決められる身分制社会の崩壊が前提 となる。しかし身分制社会というものが一挙に消滅してしまうことはありえず、学歴という業績原理が社会の一部に導入されたとしても、そこには残存する身分制との対立・融合が必ず生じてくる。

(中略)

要するに、問題点は、日本に身分制が残存しているかどうかではなく、残存している身分制が、日本と西洋社会でどのように異なっているかである。社会的地位のハイアラーキカルな構造が、権力・威信・富の不平等分配から生じ、学歴がその不平等分配に大きな影響力を発揮するのが学歴社会であるとするならば、その社会的資源の不平等分配の前提となっている社会階層構造の比較分析こそが決定的に重要なのである。

二つの社会階層の類型

上記のような問題意識から園田氏は、「十分な論証はできないが」と前置きしつつ身分制の崩壊の形態に着目して①閉鎖的階層社会、と②開放的階層社会、の二つの社会階層の類型を提示し、その類型ごとに学歴主義の導入過程を分析しています。

園田氏によれば閉鎖的階層社会は「社会階層間の闘争によって身分制が崩壊して生じた閉鎖的な階層社会」と定義され、イギリス、フランス、ドイツが典型例にあげられます(イギリスの派生国として生まれたアメリカはこの典型ではないが、一つの事例)。

一方開放的階層社会は「支配身分の防衛的近代化によって身分制が崩壊して生じた開放的な階層社会」と定義され、日本、トルコ、ペルーが典型例にあげられます。

閉鎖的階層社会における学歴主義の導入過程

園田氏はまず、社会階層間の闘争による身分制社会の衰退が閉鎖的階層構造をもたらすプロセスについて、以下のようにまとめています。

  • 経済的実力を一段と強めた都市中間層による貴族の身分特権に対する攻撃という形で行われる社会階層間の闘争が各社会階層の階層としての自覚を強める
  • 上記の結果、階層間の差をきわだたせ、他の階層の排除を目的とした強固な階層文化(生活様式・価値観)が発達する
  • その結果として階層文化の断絶(閉鎖的階層社会)が生まれる
支配層側の原理

そして園田氏によれば、軍隊・行政組織の効率性増大の要求から陸海軍士官や高級官僚にも職業の専門職化が進行して教育的資格が要求されるようになるに従い、階層間の妥協の産物として学歴主義を鬼子として抱え込まざるを得なかった支配階層は、特権的階層の被害を最小化する方策として以下のような「階層文化の教育体系への反映」、すなわち支配階層の文化を自由な競争の場に持ち込もうとする努力を行います。

欧州における「階層文化の教育体系への反映」の事例
  • 階層閉鎖的な中等学校
  • 貴族的な教養とされていたギリシア・ラテンの古典教育の重視とそれがそのまま公開競争試験に反映された試験制度
  • 陸軍での連隊への任官に際して、士官学校専門学科の成績以上に、パブリック・スクール出身であるか否かを重視
米国における「階層文化の教育体系への反映」の事例
  • ハーバード大学の入学試験は1880年まで公立学校ではほとんど教えないギリシア語のみ
  • 入試における課外活動・パーソナリティなど学力以外の選考基準の重視(大学のパトロンである特定社会階層の文化的理想の反映)
  • ハーバード出身者の子供に対する入試における優遇(特定の階層との密接な関係を維持しようとする大学当局のポリシー表明、cf. ニューヨークタイムスによるZリスト報道)

    www.businessinsider.jp

初期的学歴エリートの側の原理

一方園田氏は、階層文化の断絶が大きい社会において、メリトクラシーの原則(=学歴主義)の潮流を追い風に貴族による身分的特権の独占に対して挑戦を行う側であった初期的な学歴エリートの側にも以下の様に階層文化を取り込んでいく合理性があったと考察しています。

  • 専門的知識や技術は、なにごとかを実行する有効な手段にはなりえても、それだけで専門的職業の威信を支える基盤になりえない
  • 職業的威信は、社会全体の威信構造を反映したものであって、その逆ではない
  • 従って初期的な学歴エリートであったプロフェッショナル層は、貴族以外の階層出身者が多くなればなるほど、より一層強く、貴族の文化に同化することによって、自らの専門的職業の威信を高める必要があった。

開放的階層社会(日本)における学歴主義の導入

園田氏は、欧米と異なり階層間の闘争によって身分制の崩壊が進行しなかった日本においては「上流階級の団結強化」が進行せず、むしろ支配身分であった武士が近代化のための国家の合理的な改革の一環として自ら身分閉鎖的な階層秩序を撤廃し、国家の主要なポストへの人材の補充と昇進にメリトクラティックな原則(=学歴主義)を採用したため、学歴主義の導入過程は以下の通り、欧米とはかなり異なった様相になったと考察しています。

日本では、身分的特権をめぐる社会階層間の闘争が不在だったために、支配的階層であった武士の身分的特権に対する防衛的姿勢は、ヨーロッパに比べ著しく稀薄であり、このため、武士の階層の文化は、生きた、行動を支配する思想というよりは、たんなる過去の伝統にしかすぎないものになってしまった。かくして、階層閉鎖的独自の文化をもった支配的集団は、日本の社会階層の中で大きな意味をもたなくなったのである。しかしながら、ハイアラーキカルな階層序列は、国家の威信の序列に置き換えられ、過去にもまして大きな力をもつようになった。江戸期の身分制的ハイアラーキカルな階層序列とは、第一義的には、武士の社会内でのみ意味をもっていたが、階層閉鎖的傾向が一掃されたことによって、逆に、このようなハイアラ ーキカルな秩序は、全国民をまき込んだかたちで、国家の威信序列の中に一元化されたのである。

 

西洋において日本ほど受験競争が激化していない理由(園田氏のまとめ)

異なる二つの階層社会類型における学歴主義の導入過程の相違に関する考察を踏まえて園田氏は、冒頭に提起した問いに対する解を以下のようにまとめています。

西洋では、大学、特にエリート大学は、それぞれの社会の支配的階層の文化を体現しており、大学入学に向けての競争は、日本的感覚でいえば不公平な競争にならざるをえなかった。イギリスでは、現在はオックス・ブリッジといえども、授業料はイギリス国民であるかぎり無料である。しかしながら、経済的障害が少なかったとしても、そこに体現されている貴族的文化に積極的に同化しようとする野心的な若者の数は、一部の中産階層以上の子弟などに、どうしても制限されたものになってくるであろう。西洋では日本ほどには受験勉強に熱心でないのは、これらの国々の多くの若者にとっては、受験競争とは、学力の練磨であると同時に、文化を、つまり生き方そのものを転換させる作業を意味しているからではなかろうか。

「なぜ『受検』だったのか?あらためて考えてみる:その①」で長男の選択(中学受検を選択せず、小学校からの仲間と公立中学校でサッカーを続けること)にふれた際、

  • 優等生的に大人の意図を読み取り、自らの意図を上書きしてきた面も多分にあった私とは異なり、「良い学校」よりも「自分の居心地の良さ」を上位に置くことができる価値観の軸を持ち得ていること
  • そしてその価値観の軸が、大人の入れ知恵や借り物ではなく、小学1年生から続く仲間との良い関係性構築という実体験に支えられていること

との観点から長男を羨ましく感じたこことを述べましたが、上記園田氏のまとめの最終行での

西洋では日本ほどには受験勉強に熱心でないのは、これらの国々の多くの若者にとっては、受験競争とは、学力の練磨であると同時に、文化を、つまり生き方そのものを転換させる作業を意味しているからではなかろうか。

との指摘は長男の選択の背後にあるものを鋭く言い当てている気がしてなりません。「全国民をまき込んだかたちで、国家の(学力を中心とした)威信秩序の中に一元化された」ハイアラーキカルな秩序に染まった私や長女の常識を長男は、「そんなの僕の生き方じゃないよ」と、威信秩序よりもどんな価値観・文化に身をおいてこの先の人生を生きるのかを優先させる価値判断をよりどころにあっさり棄却してみせたということなのかもしれません。

話がかなり長くなってしまいました。「受験・受検とは結局なんだったのか?」との問いに対する解を探す作業をもう少し続ける必要がありそうです。次回および次次回にて今回のテーマの延長戦と、長男の選択である「高専受験」に関する情報共有を行いたいと思います。

 

 

 

 

なぜ「受検」だったのか?あらためて考えてみる:その③

卒業研究レポート集から描く「東葛中生像」

アングリスト・成田論文が読み応えあり、読了に時間がかかっているため、今回は閑話休題ということで、東葛中生が3年時に課される卒業研究レポート(卒業論文)集を手がかりに、東葛中生の具体像に迫ってみたいと思います。

 

卒業論文タイトルのワード・クラウド表現

東葛中では、中学3年時に卒業論文(卒業研究レポート)の作成指導があり、卒業までに論文を完成させます。

以下は第二期生の卒業論文タイトルに含まれる名詞、形容詞をその出現頻度(同一論文タイトル内での重複出現は頻度の計算に含まれない)に応じて文字の大きさ、位置などを調節して示す「ワードクラウド」と言う手法を用いて表現したものです。

 

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卒業研究レポート標題のワードクラウド表現
(出典:「第2期生卒業研究レポート集」より作成)

頻度といっても高々80弱のしかも論文タイトルの中での出現頻度ですのであまり多くの含蓄を持たせることは出来ませんが、それでも以下のような傾向を読み取ることができます。

ワードクラウドから読み取る東葛中生の問題意識・関心事項

論文タイトルの頻出語は「法」、「関係」、「効率」、「実現」、「人」、「東葛」、「必要」、「ため」、「差別」。

最も出現頻度が高い「法」ですが、これは「法律」ではなく、必勝法、治療法など「メソッド」の意味で使われているものです。また「差別」は「差別意識」など英語で言うところのdiscriminationのほか「差別化」すなわちdifferentiationという意味でも使われています。

上記頻出語を使い、論文タイトルの特徴をまとめると、

  1. 「効率」性や「差別」化、その他何かを「実現」する「ため」に「必要」な条件や「メソッド(法)」を追求する目的意識の強い論文
  2. 上記目的意識から一歩引いて自分の興味・関心対象の「関係」性を観察・考察した論文

の二系統に分かれ、その目的、対象はワードクラウドにある通り実に様々ではあるけれど、主要なものとしては「人」、「東葛」中という事になります。

東葛中生意識と不可分なプレゼンテーションへのこだわり

卒業論文では東葛中生や東葛中学について論じたものが多かったのですが、「東葛中生」と不可分に結びついたテーマとして「プレゼンテーション」に関する差別化、能力向上またはそのために必要な要素などに触れた論文も多く見られ、「東葛中生」としてのアイデンティティと「プレゼンテーション」が不可分に結びついている印象を受けました。

この点に関して、論文集でも

  • 総合に英語、社会、国語など分野を問わずしてプレゼンテーションを用いた授業が多いのが東葛飾中学校の特徴。
  • この東葛飾中学校は、授業に非常に多くのプレゼンを組み込んでいる学校であり、「何かあったらプレゼン、何もなくともプレゼン」というフレーズがそれを物語っている。
  • 東葛飾中学校生徒は自らの意見を発信する意欲に溢れており、普段の何気ない会話や授業でのディベート、発表による意見の交換など東葛飾中学校の毎日はプレゼンテーション三昧だ。
  • 自分はプレゼンテーションが苦手で、テレビCMから伝えるために必要な要素を見出し、プレゼンテーションに活かそうと考えた。

と言った趣旨の内容で表現されており、テレビから流れるCMを見ていてもふとプレゼンに思いを馳せてしまうほど日々の学校生活において切っても切れない関係にあり、プレゼンテーションに東葛中生のアイデンティティ東葛中生=プレゼン)を感じている様子が窺えます。

東葛中生=プレゼンの具体例

コロナ禍で学校行事の中止・縮小などが続き、直近過去年度や今年度にその機会があったのか、あるのかわからないのですが、東葛中の学園祭は東葛中生に染み付いたプレゼン魂の発露を体験するとても良い機会ですので東葛中受検を検討されている親御さんにはぜひお子さんと一緒にご来場いただきたいイベントです。

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プレゼン企画教室の様子

 

写真は2019年度の学園祭における、東葛中生個人のプレゼン企画「新選組ブラック企業」での教室の様子です。東葛中の教室にはこのように、投影を想定したホワイトボードとプロジェクター設備が備えられており、中学生たちは実に手慣れた手つきでモバイルPCやUSBメモリー、プロジェクターを操作しながらプレゼンを行います。

プレゼンマテリアルの各ページとは独立に参照する可能性のある京都市街の地図や新選組隊士の写真をあらかじめプレゼン投影の脇に配置しておくなど非常に手慣れた印象を受けます。

プレゼンの進行も聞き手の反応を見ながら堂々としたものであり、自分の好きなテーマについてプレゼンを披露することを楽しんでいる様子が伝わってきました。

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上は生徒たちの企画運営による英語の模擬授業です。東葛中の英語授業は習うより使って慣れろ方式の非常に独特な形式をとっていて、長女は普通ならば中学校に入ると最初に習う「三単現のS」もしばらく知らない(英作文や会話に際して使ってはいたが、文法事項としての「三単現のS」という言葉を知らない)状態のまま、一方でテストでは中学一年生にしては非常に難解な読解問題に取り組んでいました。

このようなユニークな授業に東葛中生は愛着があり、このアクティブ・ラーニング形式の英語授業はプレゼンテーションと並んで東葛中生のアイデンティティの構成要素の一つであったようです。生徒たちによって綿密に企画運営された、学園祭に訪れる親子連れのお客さんたちを巻き込んだ模擬授業は盛況で、東葛中生の実行力にとても驚かされました。

 

日常生活に根ざした問題設定としっかりした方法論に基づくアプローチ

東葛卒業論文集に以下のようなタイプのタイトルがズラリ並んでいたらどうでしょう?

例えば中学生の段階ですでに将来医療保険政策に関わることを夢に描いていて、膨らむ日本の医療保険財政に危惧を抱いており、状況打開策としてジェネリック医薬品の普及率向上に使命感を抱いている。と言うことであれば、上記はその人にとって意味があり、手触り感を持って取り組めるテーマと言えるかもしれません。

しかし、中学生の段階でここまで高度に専門的な領域に興味関心を絞り込んでいる人は例外的なはずで、論文集にこのようなタイプの論文タイトルが並ぶことはまずないでしょう。このような論文タイトルが並んでいたら私は、次のような意味での論文指導の失敗を想像します。

  • 卒業論文とは、普段目にしない小難しいレポート・論文に挑戦し、まとめることでなんとなくアカデミックな香りに触れ、複製することだと生徒が勘違いしてしまっている。
  • 自ら課題設定を行い、先行研究を参照・発展させながら仮説を立て、調査・考察を通じてその仮説を検証していくというプロセスに価値を見出せないか、それを行う十分な時間が確保できないため、大半の生徒があえて上記のような複製で済ませている。

先に論文の対象、目的に該当する頻出語として「プレゼンテーション」、「人」、「東葛」などをあげましたが、ワードクラウドを改めて眺めてみても「柏」、「街づくり」、「ワラジムシ」、「コンビニ」、「駅」など日常生活に根ざしたワードが目立ちます。

実際論文集から幾つか具体的にテーマを拾ってみると、

  1. 15分間で行われる教室の床掃除を効率的に行うための最適な方法の検証・追求
  2. 自宅を含む半径400mの商圏内に7件ものコンビニが立地する理由に関する仮説・検証
  3. 自分が住む街の街づくりや若者の地元定着を促すための方策に関する調査・提言

など日常生活に根ざした手触り感のある論文テーマがズラリと並んでいます。そしてこれらに対して、実にしっかりした方法論を持って取り組んでいるのです。例えば1.の床掃除の検証については以下の通りです。

最適な床掃除の検証・追求で採用された方法論
  • 掃除方法の問題を①用具(ほうき、雑巾)への人数割り当てと②手順に分解する。
  • ②とは独立にまず①を決定してしまう。①の決定はほうき、雑巾それぞれ別個に、割り当てる人数と掃除時間の計測値に基づいて以下数値を最小化する人数として決定する

   一人当たり貢献度の逆数≒ 掃除時間 × 割り当て人数

  • 用具への割り当て人数が決定したら、当該割り当てを前提とした掃除手順(掃き掃除及びゴミを集めのコース;雑巾掛けはほうきの後ろについて拭き掃除を行う)について、各手順にかかる掃除時間の実測値に基づき決定。

私は生産工程のデザインや人員配置といった分野には全く知見のない素人ですが、いくつかの要素が絡み合った問題に直面した時に、独立に切り出して考えることができるユニットに問題を分離し、段階的に決定を行う手法は鮮やか(「分離定理」なんて大袈裟な名前が与えられても良いくらい)ですし、一人当たり貢献度の計算などはそれこそ千葉県適性検査の問題に登場してもおかしくありません*1

他にも、例えば2.のコンビニの立地に関する仮説・検証では、「駅から徒歩20分と一見、立地条件に恵まれていないにも関わらず、自宅を含む半径400mの商圏内に7件ものコンビニが立地している理由」に目をつけるところが秀逸ですし、文献調査に基づく経営戦略的な観点からの仮説を、総務省国勢調査や地理情報システム、経産省の商業統計のメッシュ情報を活用した統計調査を用いて検証していく手法には関心するばかりでしたし、さらに愛すべき物理オタク、化学オタクたちによる大人顔負けの論文(私に知見がないためにここでは紹介できませんが)にはウーンと唸らされました。

改めて考えさせられる、東葛中でのプレゼン・カルチャー醸成の意義

以上、東葛卒業論文集(正式には卒業研究レポート集)を題材に、東葛中生像の一端を見てきました。本シリーズのその②で、「感染動機」に基づく学びと、生徒たちが互いに影響し合う化学反応の場としての学校の役割について触れましたが、卒業論文集から伺える東葛中生の中でのプレゼン・カルチャーの浸透は、「感染」の機会を増やし、化学反応を促進する前提条件を提供するものだと考えますし、また先生方は非常な熱量と努力によってそのようなカルチャーを作り上げてくれているのだと考えます。

以下は中学・高校で教鞭をとりつつ大学でも授業を受け持つ大貫・竹林氏による高等学校段階での卒業論文カリキュラムの導入に関する論文ですが、https://core.ac.uk/download/pdf/144440814.pdf

指導する側については教員自身の論文執筆や指導経験の無さ、論文執筆指導方法の未確立、生徒たちのテーマの多様さを、指導される側については大学進学準備や学校行事との両立に起因する時間制約やモチベーション確保の難しさなどを課題、問題点としてあげています。

東葛中のような中学校段階でのカリキュラム化は、時間制約やモチベーション確保などの観点において、高等学校段階でのそれに比べて時宜を得ていると考えますが、指導する側の負担は相当なものでしょう。

以上の観点からこの試みを見事に導きまとめ上げた先生方には本当に頭が下がるとともに、プレゼンテーションとアクティブ・ラーニングを主軸とした東葛中の特色ある少人数教育の良さ(そのようなカルチャーがしっかり根付いたのも熱心な先生方のおかげなのですが)と、その成果を卒業論文集を通じて実感できました。

最後に、親御さんの中にはこのようなキラキラ系の授業ばかりやっていても結局のところ、最後の最後、難関大学合格という形で成果が出せないと意味がないのではないか?プレゼンやアクティブ・ラーニングはその目的に大した寄与をもたらさないのではないか?と心配される方もいらっしゃるのではないかと思いますが、長女や中学からのその同級生たちをみている限りその心配は杞憂に終わるのではないかと考えています。

高校受験がなく、「部活動を行って良い日」が逆に定められていた東葛中(最近はクラブ活動になってしまったと聞きます)ですが、生徒自らが行う学校行事への対応含め、授業で課される課題やプレゼンの準備ではものすごい量をこなしており、高校受験を控えた公立中学生よりもハードな生活を送っていた印象があります。

そしてそれが当面必要だと考えた彼女たちは高校に入ってからそのパワーの矛先を「受験のための勉強」に変えて結局、ものすごい熱量と集中力、情報収集でバリバリと音を立てるような勢いでこなしているようにも見えます。

そして中学生の時にプレゼン・カルチャーとアクティブ・ラーニングを通じて身につけたものはまた、それが必要な時期を迎えればむっくりを芽を出し、花を咲かせるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

*1:掃除に必要な総仕事量をW、割り当てられた人員の平均的な単位時間あたりの仕事量、すなわち一人当たり貢献度をc、割り当て人数をn、掃除時間をSとするとS=W/cn との関係からSn=W/c、Wは定数なのでSnは貢献度cに反比例するという関係が得られます(cが低下するのは割り当て人数が過剰であるために全体の作業効率が落ちると解釈できます)。

なぜ「受検」だったのか?あらためて考えてみる:その②

補題の設定】

一口に「なぜ受検だったのか?」と言われても、以下のように「受検」というワードに含まれるものが多すぎて、どのような方向から切り込んで良いのかよくわからない面があります。

受検というワードに含まれる様々な側面

  1. 良い大学、その先の良い就職など、お子さんがその後の人生をより有利に進めるための資格・条件を得る手段としての側面
  2. 受検をきっかけに、お子さんが塾や志望校の選択を行ったり、目的意識を持って学習に取り組むことで意識改革、成長機会を得るイニシエーションとしての側面
  3. 格差社会などと言われる中、お子さんの将来に客観的・平等なチャレンジの機会を与え、社会階層の固定化を防ぐ社会的装置としての側面

そこで、本題に切り込んでいく前に関連する小問を設定し、取り組む過程で得られる示唆を次に繋げていきたいと思います。

学歴に意味はない? ー日経新聞「やさしい経済学」よりー

受検の様々な側面と言いましたが、子を持つ親御さんとしてまず最初に期待するのはやはり上記1.の功利主義、実利主義的な側面でしょう。そんな期待に冷や水を浴びせるようなコラム記事が2020年4月13日付日経新聞に掲載されていました。そのコラム記事の概要は

  • 本当に有名校に入ることで子どもの人生は幸せになれるのか?米マサチューセッツ工科大学ヨシュア・アングリスト教授と記事の筆者である成田悠輔による共同研究の紹介
  • シカゴの難関有名公立高校をギリギリで合格した生徒と、ほんのわずかに点が足りず不合格となった生徒の米国版センター試験の成績を比較するという手法(自然実験)により、「有名校に進学していること」そのものが有意な効果をもたらしているかを統計学的に検証
  • 結局、両者の米国版センター試験の成績に有意な差異はみられず、有名校の生徒はその学校のおかげで成績優秀なのではなく、そもそも成績優秀な生徒が有名校に入っているだけ、という残念な結論が得られた

というものであり、

ニューヨークやボストンの有名公立高、ハーバード大やエール大のような有名私大でも、成績や収入を伸ばす効果は普通の高校・大学と大差ないという研究があります。有名校に入っても学生の未来が明るくなるとは限らないのです。

日本にはこうした分析はありません。データがない、というのが理由(言い訳?)のようです。「わが校の教育には効果あり」と信じてやまない関係者の方はぜひご一報ください。

とコラム記事は結ばれています。

(出典:https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yasashii28/02.html

このコラム記事が提示する論点を含めた学校教育にまつわる様々なテーマについて、コラム記事の筆者である成田悠輔イエール大学助教授と「五体不満足」の乙武洋匡氏がYoutubeで対談を行なっており、(【前編】成田さん、学校って必要ですか?【成田悠輔と語る】 - YouTube;5:50〜14:00頃)その中で乙武氏は本研究結果について以下のような論点を提示しています。

  • 格差解消の装置としての教育の役割を重視している乙武氏にとってこの研究結果を楽観すれば良いのか悲観すれば良いのか判断に迷う
  • つまり「有名校への進学(学歴)が同様の能力を持つ生徒の未来に有意な影響をもたらしていない」と言う事実だけを切り取れば(有名校への進学に失敗しても)希望が持てると言う意味で喜ばしい
  • しかし、その研究の結果の裏側に、明るい未来を切り開けるような「元々能力が高く、良い環境(生育環境、親の年収)に恵まれている人たちが有名校という器に盛られているだけ」という構造があるのだとしたら格差是正という観点からはより悲観的な事実だと言える

乙武氏のこの問いに対して成田助教授は、「研究結果に対して楽観も悲観もし過ぎずに建設的に理解していくことが重要」と前置きした上で

  • 教育というのは複雑な、色々な要素の束(有名校なのかそうでないのか、そこで教えている個々の教員の質、経験年数、カリキュラム、クラスのサイズ、使用している教科書・タブレット等)である
  • その中で、一見重要に見えるものが実は大して効果を持たなかったり、また逆にこれまであまり重要とみなされていなかったものの中に実は大きな効果を持つものが含まれている可能性もある
  • 有名校の効果に関するこの研究結果は、上記絞り込みを行うための一つの重要事実が提示されたものとして受け取れば良く、絞り込んだ結果をよりよい教育の実践に繋げていけば良い

という趣旨の発言をし、「重要とみなされていなかったものの中に埋もれていた効果的な要素」として「先生の教授法の質と、結果としての教育効果のばらつきの大きさ」を挙げ、米国での効果測定、評価や教わる側の発展段階も考慮した教育の試みを例示しています。

自身の経験を踏まえた研究結果の評価

自身の経験も顧みた時、私は成田助教授の研究結果に大して驚きを感じませんでした。自身の通った学校は特に大学入試に対応し、中高一貫であることを最大限生かしたカリキュラム(例えば先取り授業やコース別クラス編成)を導入していたとはとても言い難かったし、高校に入ってからの進学指導も言ってみれば自由放任でした。

そしていわゆる難関国公立や国公立医学部に進学した子達を思い出してみるとやはり、学校の授業、課題を熱心にこなしていたというより、とにかく力が余っていて学校の授業、進路指導など全くあてにせず、例えば得意な物理については高校三年生までに大学の教養課程で使うような教科書を終えてしまっていたり、数学であれば「大学への数学」の学力コンテストに熱中していたり、大して英語が得意でもなかった私でも、ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズという輸入ボードゲームを楽しむために英語で書かれた原書を読みこなしていたりしていました。

ではそうした子どもたちを受け入れていた学校が私たちに全く影響を及ぼしていなかったかと言われればそれは違うように思います。

学校が積極的に私たちに働きかけた部分は少なかったにせよ、やはりそのような器に盛られていたが故に起きたケミカル、相乗効果というものがあったように考えるのです。

社会学者の宮台真司はその著書「14歳からの社会学」(社会や人間行動を捉えるために必要な基本的な概念装置を、中高生を想定した平易な言葉で語っており、お子さん向けにも、親御さん向けにもおすすめの一冊です)の中で、人がモノを学ぶ動機として、競争動機(勝つ喜び)、理解動機(解る喜び)に加えて、「自分もこういうスゴイ人になってみたい」と思う「感染動機」を以下の意味において前者二つの動機とは一線を画す、より高次な動機として重視しています。

  • 学習行動を支えるインセンティブ(報酬)の持続性(=内発性)
  • 当該動機に基づく学習が断片の集合ではない、血肉化された知識の習得を可能にする

宮台教授の言う「感染動機」とは

直感で「スゴイ」と思う人がいて、その人のそばに行くと「感染」してしまい、身振り手振りやしゃべりかたまで真似してしまう

そんな学び方であり、この感染動機による学習のみが知識を血肉化できると述べています。

つまり、競争・理解動機に基づく行動は、その結果瞬間的に得られる「喜び」を求めて自ら行動を起こしているという意味で「自発的」な行動であるが、行動そのもに喜びを見出しているわけではないのに対して、強力なインフルエンサーに影響され、近づこうとして起こす行動はその行動そのものが喜びとなる「内発的」な行動であり、インフルエンサーに近づこうとして行う様々な思考実験、シミュレーションが知識を体系化すると言うのです。

感染動機という用語・概念が社会学・心理学の領域で一般的なものなのか、それとも自ら大学院生時代に小室直樹廣松渉チョムスキーと言ったインフルエンサーに出会い、感染動機に支えられて学問を修めた宮台教授の個人的な経験に基づく整理なのかはわかりませんが、私自身は、宮台教授の考え方に全面賛成です。

例えば自分自身の中高生時代についていえば、輸入玩具店や専門雑誌を通じて当時の自分には考えもつかなかった遊び(ゲームのルールだけが細かく規定されていて、そのルールを用いてゲームの世界観、シナリオ、進行を自分で作り出し、自らの話術とゲームの設定能力だけでその場を盛り上げていく)を見つけ出し、言語の壁など物ともせずのめり込んでいくクラスメートや、物理・数学の演繹的手法や美しさに敬意を払い、受験数学的なHow toの寄せ集めを軽蔑して自分が今取り組んでいる定理や問題の意味を深く理解しようとする部活の仲間に非常に大きな影響を受け、まさに内発的にその人たちに近づいていく課程でいろいろなものを身につけていった記憶があります。

中高生というと振り返ってみるとなぜあんなに思い詰めたのかと思うほどに先輩や同級生、好きな女の子に憧れてロールモデルとして崇拝し、すこしでも近づこうとした時代だったように思います。

思考の柔軟性があって吸収力と馬力にあふれた人生の一時期に効果的な学びを行えるよう、そんな一時期に感染動機が発動するようタイマーが設定されているのではないでしょうか?

以上を踏まえると、確かに有名校が果たす諸機能は実は大したことがなかったり、「有名校」という属性とは全く独立に語られるべきものなのかもしれませんが、有名校が提供している場には、先ほどのインフルエンサーに出会える確率の大きさなどの面でそれなりの意味があるのではないかと考えます。

補題の考察】

「高確率でインフルエンサーに出会える場」として有名校の意義を捉えることができるとして、一方で先ほどの研究結果(少なくとも米国版センター試験の結果に有名校は有意な影響を与えていないように見える)が認められる時、我々はこの結果をどのように受け入れれば良いのでしょうか?

先ほどのアングリスト・成田論文を読んだわけではないため、想像でしか語れないのですが、一口に「米国版センター試験の結果に有名校は有意な影響を与えていないように見える」といっても、その結論がどのような比較レベルで語られているかには注意が必要です。

例えばそれが有名校出身受験者とぎりぎりで有名校に入れなかった普通校受験者の米国版センター試験の得点分布の差異の検定という形でなされた場合、それが分布の平均値のみについて行われた結果なのか、それとももっと高次のモーメント(平均値の周りでの得点分布の散らばり具合<分散>や、分布の対称性<歪度>、平均値から遠く離れた部分の散らばり具合<尖度>)についても考慮された上での結果なのかによってインプリケーションは異なってくるはずです。

つまり、両者の得点分布はその平均値については有意な差異がないが、分散については有意な差があり、有名校では分散が普通校に対して有意に小さい(つまり、周りにインフルエンサーがたくさんいて、常に刺激しあっているので落伍するものが少なく、分布が平均値の周りにギュッと集まっている)など...

上記論点についてはアングリスト・成田論文をきちんと読んでから言及することにして一旦その結果を受け入れた場合に、その背後にはどのような理由が考えられるでしょうか?

私は今のところ、以下のように考えています。

  1. 有名校でなくとも、一定レベルの意欲・能力を持つ生徒に影響を与えうるインフルエンサーは、その学校の偏差値にかかわらず一定数存在する
  2. 実質的には有名校の合格者と変わらない到達度を持つ生徒は、物理的に近いところにインフルエンサーが存在しなくとも、そのインフルエンサーの代替になるものにアクセスしたり見つけ出したりする手段・習慣または生活様式のようなものを持っている
大学年収ランキングTop30校と千葉県第2・第3学区主要高校における合格率

上記1、2はともに自身の経験に基づく直感ですが、実際にはどうでしょうか?

昨年長男が地元の公立中学へ進学した際、千葉県の高校受験事情に詳しくなかった私は、「みんなの高校情報」(https://www.minkou.jp/hischool/exam/chiba/deviation/)の進学実績データや「DIAMOND online」の出身大学別年収ランキングTop30(https://diamond.jp/articles/-/264142?page=2)などを用いてあれこれ分析し、「塾は行かない」と言い張る長男に対して「強制塾通い」などの強権発動を行う閾値、ルール作りを行いました。

そのルールはまさに上記1の視点に基づいたものであり、簡単に言えば

  • 基本は大学受験までに本人が自分でその道を選択するまで待つ
  • 但しインフルエンサーが周りに全くいないとなると”その道を選択する確率”そのものも0になってしまうので、インフルエンサーをある程度期待できる高校には進学してもらう必要がある
  • よって、「インフルエンサーをある程度期待できる高校」に進学できる程度の目標順位を定め、その順位を割り込んだ場合「休部、強制塾通い」等の強権発動を行うことを長男と事前に宣言しておく

というものでした。

この目標順位を決めるために行った分析の結果が、「みんなの高校情報」と「出身大学別年収ランキングTop30」を用いた以下表・グラフの作成です。

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県立高校別基礎データ(出典:みんなの高校情報、DIAMOND onlineより筆者作成) 

 

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県立高校偏差値とTop30合格率の関係(出典:みんなの高校情報、DIAMOND onlineより筆者作成)

表・グラフに登場する「クラス順位換算」は各県立高校の偏差値から標準正規分布のZスコアを逆算してパーセンタイル値(上位何パーセントに該当するのかを表す数値)を求め、その値にクラスの想定人数(ここでは1クラス40名)を掛けて算出しています。

また、「Top30大学合格率」は単純にみんなの高校情報から取得した各高校の大学合格者合計人数に占めるTop30大学合格者数の割合を求めたものですので、大学受験をしない人も分母に含めた合格率ではありませんし、ましてや複数学部、大学への重複計上の除外や現役・浪人の区別などもない粗々ベースのものであることに注意が必要ですが、以下に述べるようにいくつかの重要なインプリケーションを引き出すことができます。

表・グラフから得られるインプリケーション

(1)インフルエンサーをある程度期待できる高校の境界線

数多ある条件を捨象し、表・グラフに現れている数値だけを基準にすると、偏差値55未満の高校(Top30合格率0〜1%)は厳しいと言わざるを得ません、合格者数が募集人数より有意に少なく、大学進学を選択しない人が相応に含まれていることも考え合わせると、実質的なTop30合格率は0%台になってしまいそうです。

偏差値55以上になってくるとTop30合格率は多少のばらつきはあるものの5%程度まで浮揚してきます。県立高校の募集人数が320人程度、1クラス40と考えると学年で十数名、クラスにも二名ほどインフルエンサーがいることになりますので、感度の高い子にとってはそれなりにインフルエンサーがいると考えることができます。

(2)偏差値とTop30合格率の関係が無相関に見える偏差値55〜60前半ゾーン

偏差値とTop30合格率だけをみると偏差値55〜60前半ゾーンについては偏差値とTop30合格率の間に全く相関がなく、一見「このゾーンについては偏差値に一喜一憂してもしょうがない」と解釈できるようにも見えます。

しかし、偏差値、Top30合格率以外の数値にも目を凝らすと、二つの数値だけでは見えない以下のような質的な差異を想像することができます

募集人数と大学合格者合計人数(サンプル数)の関係から見えてくるもの

サンプル数と募集人数の関係に着目すると、サンプル数(大学合格者数)が募集人数を上回るのは偏差値59以上からであり、当該偏差値水準までは大学進学をそもそも志向しない人たちが相当数含まれていることが示唆されます。これは実質的なTop30合格率を引き下げる方向に作用しますので、「実質的なTop30合格率で測れば、やはり偏差値とTop30合格率に相関関係が見られる」と言うことになります。

ただし一方で、大学進学を志す人たちの中でのTop30合格率は偏差値55〜60前半ゾーンにおいては大した違いはないとも言うことができるかもしれません。そしてそうだとすればそれは、「一定レベルの意欲・能力を持つ生徒に影響を与えうるインフルエンサーは、その学校の偏差値にかかわらず一定数存在する」という私自身の経験則をある程度裏付けているようにも思えます。

また、募集人数に対するサンプル数の倍率は偏差値に比例して上昇し、その傾向は偏差値60前半ゾーンを超えるとますます強まるようにも見えます。

これは、①難関大学への合格を志望する浪人合格者、②志望大学への複数学部合格者、③複数大学への合格者、の存在を示唆しますが、いずれもTop30合格率の質的な側面を表しているのではないでしょうか?

(3)十分なインフルエンサーの数を期待できるのは偏差値60半ばか?

偏差値60半ば(国府台、鎌ヶ谷、柏南高校に該当する偏差値64)まで来ると、Top30合格率は10%台となり、学年に三十数名、クラスにも五名弱のインフルエンサーに恵まれることを示唆しますので、大学受験までに本人が自分でその道を選択するまで待つにはかなり安心感のある環境と言うことができます。

結局私自身、先述した目標順位の決定に際して、今後の努力次第でこのレベル(偏差値60半ば)が狙える偏差値61、クラスで5番以内を目標順位とすることにしました。

【一連の考察・分析を振り返って】

以上、「有名校に入っても学生の未来が明るくなるとは限らない」ことを示すアングリスト・成田論文の紹介に始まって、学習行動を支える動機付けとして宮台教授が重視する「感染動機」の代理変数としての「Top30合格率」を中心に据えた私自身の分析をご紹介しました。

しかし一方で、このような分析努力を嘲笑うかのような事実もあります。

2019年末に日経新聞に連載された「安い日本」シリーズ記事をベースに書き下ろされ、2021年に出版された中藤玲氏の「安いニッポン ー価格が示す停滞ー」には以下のような記述があります。

同じ米住宅都市開発省の2020年の最新版では、年収13万9400ドルが(サンフランシスコの)低所得者に分類されており、...(筆者略)...21年1月の為替(約103円)でも約1400万円を大きく超える計算だ。

これまで年収Top30への合格率をベースにあれこれ細かい分析をしてきましたが、そもそも日本の年収Top30大学の平均年収とはそもそもどのような水準だったでしょうか?

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出身大学別年収Top5(45歳時点、出典:DIAMOND online)

実に、45歳時点でトップを走る一橋大学でさえその想定年収は1,189.8万円、米住宅都市開発省が認定するサンフランシスコの低所得者分類に満たないわけです。

おそらくこのブログを読んでくださる親御さんはお子さんの将来を考え、戦略的にお子さんの将来を考える、いわゆる「意識高い系」の親御さんが多数を占めていると推察します。

しかし、いくら狭い日本の中での競争を意識し、その勝者になったところでそれは、グローバルな勝ち組の標準に照らせば「低所得者」の水準をかろうじて達成するに過ぎないわけです。

その意味で、功利・実利主義的な価値観に照らすならば、日本の受検・受験競争の勝者を志向している時点で私たちは頭の悪い、非効率なストラテジー固執しているオールド・タイプとの烙印を押されてもしょうがないということになります。

次回の記事では、アングリスト・成田論文をしっかりと読みこなした上での所見、ならびに上記事実をしっかりと受け入れたうえでの受検のリーズニング(論拠付け)に挑戦してみたいと思います。

なぜ「受検」だったのか?あらためて考えてみる:その①

長女が東葛中の門をくぐってからはや5年が過ぎ、今年4月には高校3年生になろうとしています。

この間、長女は東葛中の3年間と東葛高の2年間を経験し、全てをつぶさに見ることができているわけではありませんが、東葛中の授業や学校生活、そこに集まる生徒・先生方の特徴、雰囲気などもおぼろげに見えてきました。

そしてやはり自分自身、長女を東葛中に通わせて正解であったと実感しています。

二期生にあたる長女が受検した際には東葛中受検に関する情報があまりにも少なく、自分同様に東葛中の門を叩こうとするお子様を持つ親御さんへの情報提供(とりわけ適性検査の特徴や具体的な対策)を目的にこのブログを立ち上げましたが、受検から丸5年間、長女の学校生活をハタから眺めていた親の感想も交え、「なぜ東葛中受検という選択をしたのか?その選択は正解であったのか?」という観点からあらためてまとめてみようと思います。

【なぜ中学受検なのか?】

長女が受検を志したのは同じ学校に通うクラスメイトが公立一貫校受検を志望しており、冬期講習に誘われたことがきっかけでしたが、自分自身中学受験を経て私立の一貫教育を受けており、その経験から、以下のような観点から長女が受検を行うことの意義について何の疑いも持ちませんでした。

  1. 高校受験によって中断されることなく、知的好奇心旺盛な同世代からの刺激を受けながら、試行錯誤に必要な六年間というまとまった時間を与えられること
  2. 小学校生活においても「先輩(ロールモデル)」に憧れたりなったりする歳で「あの学校に入りたい」という主体的な選択を自ら行い、その選択に当事者意識を持って取り組むという経験がイニシエーションの役割を果たし、六年間というまとまった時間を有意義にするための推力を与えてくれること

しかし、私が小中学生であったころと日本や日本を取り巻く経済・社会環境、そして人々の価値観が大きく変わってきているなかでなお、長女の受検が正解であったと言い切れるのか?

長女の受検が終わって一つの節目となるこの時期に考えてみたくなったのです。

長女と年の離れた長男は長女の大変さを間近でみてきたこともあって受検という選択を行わず、小学校6年間を共に過ごしてきた地元のサッカーチーム(実は、自分も小学校高学年の時に在籍したことがある)の友達が通う公立中学に進学を行いました。

そして私の目からは、この長男の選択もまた長男にとっては正しく、またそのような選択をした長男を以下のような点において羨ましくも感じるのです。

  • 私が中学校受験のために中途半端な形で辞めざるを得なかったサッカーチームで最後までプレイすることができたこと
  • 優等生的に大人の意図を読み取り、自らの意図を上書きしてきた面も多分にあった私とは異なり、「良い学校」よりも「自分の居心地良さ」を上位に置くことができる価値観の軸を持ち得ていること
  • そしてその価値観の軸が、大人の入れ知恵や借り物ではなく、小学1年生から続く仲間との良い関係性構築という実体験に支えられていること

【日本をめぐる経済・社会環境の変化と価値観の変容】

以下の表は1992年末と2019年末の世界株式時価総額トップ25社を比較したものです(出典:

https://finance-gfp.com/?p=10552)。私が大学生をしていた1992年当時、日本の企業はトップ25社のうちの9社を占めていましたが2019年には1社もランクインせずに中国、韓国、台湾といったアジア勢の後塵を拝しており、トヨタ自動車がようやく33位に顔を出すばかりとなっています。

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世界の株式時価総額ランキング Top 25(1992 vs.2019 )

同様の変化が大学のランキングにも現れています。以下はタイムズ社による直近の世界大学ランキングです(出典:https://eleminist.com/article/1709)。中国、シンガポールなどのアジア勢が上位21にランクインする一方、日本の大学は東京大学がようやく35位にランクインする程度。出典がこころもとないのですが(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12179293947

2003年の上海交通大学ランキング(タイムズ社と並ぶ主要な大学総合ランキングの一つ)では東京大学が14位(カルフォルニア大学、ペンシルベニア大学と同程度)、京都大学が21位(ミシガン大学ジョンズ・ホプキンス大学と同程度)と相応の位置につけていたことを考えると、彼我の差を感じざるを得ません。

 

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2022年世界大学ランキング(タイムズ・ハイヤー・エデュケーション

これまでは個別企業、大学といったミクロの指標を見てきましたが、同じことは平均賃金、実質実効為替レート(各国との貿易量や物価を加味した通貨の総合的な実力)などのマクロ指標にもはっきりと現れています。

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G7+韓国の平均賃金の推移(2000年以降、ドル実質化ベース)

グラフの通り

日本の実質賃金(物価の影響を加味した実質的な賃金)が2000年以降全く伸びておらず、G7の中でも下位に甘んじていることはよく知られた事実ですし

(出典:https://diamond.jp/articles/-/278127?page=2)、

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実質実効為替レートで見る円の実力

つい最近には総合的な通貨価値を表す実質実効為替レートでみた円の実力がピークの半分以下になり、1972年以来の水準まで低下したことがニュースにもなりました(出典:

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB208IY0Q2A120C2000000/)。

エズラ・ヴォーゲルが著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の中で日本的経営を称賛し、世界時価ランキントップ25社に日本企業9社がランクインし、企業の実力に比べれば弱いと揶揄されながらも日本の大学が世界の大学ランキングのそれなりの位置につけていた文脈の中で語られる「良い大学、大手企業」という言葉の響きと、インフレどころかディスインフレが進行する中で20年間全く実質的な賃金の上昇が見られず、多くの人たちにとって海外旅行がまだ憧れであった1970年代前半の水準まで自国通貨の実力が低下してしまった文脈の中で語られる「良い大学、大手企業」という言葉の響きは当然違ったものになるはずです。

おそらく日本をめぐる経済・社会環境が私が中学受験をした頃と変わらなくて、自分の価値観も変わっていなければ、私はかつてサッカーチームを辞めさせた自分の父親同様に小学校高学年に上がった頃合いで長男を塾に通わせ、徐々にサッカーチームから遠ざけて中学受験をさせる方向に導いていたでしょう。

それをさせるためには、「有名大学、大手企業へと進むことで幸せな人生を送ることが出来る」との確信が必要ですが、自分自身の経験や客観的な今の経済・社会環境を踏まえた時に、かつて私の父親が抱いたほどの確信を自分は持てていません。

運用の世界では投資対象資産の収益性に不確実性がある場合に、当該資産を100%保有してしまう「ブレット型」の資産構成に代えて、安全資産とリスク資産をバランスよく組み合わせる「バーベル型」の資産構成を取ることがしばしばあります。

長女長男の進路をめぐる選択を整理すると結局それは、不確実性に起因する「バーベル型」資産構成の選択であったのだなと考えます。

私が受験した頃の常識では長女のとった選択は「安全資産」、それもかつての複利運用型貯蓄商品のように年率5%を超える利回り(15年も運用すれば元本が倍になる)を得られる「安全資産」と見做せたかもしれません。しかし経済・社会環境の変化に対応した結果起きる「価値の評価軸の変化」までを考慮に入れるとこの先を見据えた場合にもそうなのかは分かりませんし、むしろ長男のとった選択のほうが「安全」なのかもしれません。
今後何回かにわたって、この点をあれこれと考えたうえで「東葛中受検」の意味を再考し、まとめていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

必ず目を通しておきたいおススメブログ(その2)

2年前、公立中高一貫校受検の情報が少なくてあれこれとネットを漁っていた時には心に響くブログをいくつか知っていたのですが、何度かご紹介したゆず母さんのブログに出会って以降、そちらに頼りきりでそれらのブログの場所を忘れてしまっていました。

 

でもみなさんになんとか紹介したいと思い、探してみたところ、かなり気に入っていたブログが見つかったので以下の通りご紹介致します。

 

公立中高一貫受検体験記その1

https://blogs.yahoo.co.jp/momumo2002/64510284.html

 

公立中高一貫受検体験記その2
https://blogs.yahoo.co.jp/momumo2002/64510319.html

 

公立中高一貫受検体験記その3
https://blogs.yahoo.co.jp/momumo2002/64510350.html

 

公立中高一貫受検体験記その4
https://blogs.yahoo.co.jp/momumo2002/64510390.html

 

公立中高一貫受検体験記その5
https://blogs.yahoo.co.jp/momumo2002/64510486.html

 

このブログでは具体的な勉強法への言及が充実しており、

 

・親御さんに適性検査問題をご自身で解くことを進めている事

・独習に向く解答・解説に詳しい問題集と、親御さん、塾の先生のサポートを必要とする問題集に分け、それぞれ対策を切り分けている事

・解き直しノートの作成

・基本的に過去問題を対策の中心に据えている事

 

など、長女の受検の際に参考にさせて頂いた点が多いほか、個別指導を上手く活用されている点、受検をお子様とのコミュニケーションに上手に活用されている点がオススメです。

 

読解力って何?(その3) シミュレーションからわかる事

前回は、様々な仮定の下で受検者の能力の散らばりと問題の種類に応じた正答率、その不確実性などに関する数量的な関係性を表すモデルの構築を行い、

  • 模試偏差値70以上はかなり高い合格率になる
  • 模試偏差値60から70未満については、合格率は偏差値によらず50%近辺となっていて偏差値と合格率の間に有意な関係性が見られない(無相関) 

という東葛中受検における模試偏差値別合格率の特徴や、

  • 平均点20点台、ボーダーライン50点前後

という適性検査での得点の散らばりかたの特徴を再現しました。

 

モデルの良いところは、モデルを構成するいろいろな変数(パラメータなどと言います)を変えて結果の変化を確認する事で、モデルが表すメカニズムをより深く知ることができるところにあります。

 

今回は、前回構築したモデルのパラメータを変え、東葛中適性検査のあれこれについて考えてみます。

 

<模試偏差値と合格率の無相関性を産むもの>

上記について、当初私が想像していたのは

「千葉県の適性検査問題が非常に難しいにもかかわらず、模試の問題が易しい、あるいは質的に本番の検査問題と乖離してしまっているために、その模試で計測される偏差値がモノサシとして上手く機能していない。」

というものでした。

今回のシミュレーションでは、前段の

「千葉県の適性検査問題が非常に難しいにもかかわらず」

に対応するものとして、

     問題A :能力値と正答率が比例

     問題B :能力値が閾値を超えないと正答率が上がらない

の2種類に分けた上で、その配分比率について

    模擬試験 :問題A  8割、問題B  2割

    適性検査 :問題A  2割、問題B  8割

とする事で表現しました。

ここまでの仮定から、

「その模試で計測される偏差値がモノサシとして上手く機能していない。」

という結果はきれいに再現されます。

以下は、上記仮定のもとに再現される模試偏差値と真の偏差値の対応を表すグラフです(「受検者の能力の期待値はあらかじめ決まっていて、数値化できる」という仮定からシミュレーション上の計算としてこのような対応を考えることが可能となります)。

 

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このグラフからは、「真の偏差値70を持つ同じ個人が模擬試験では偏差値73と判定される」事が読み取れます。

模試偏差値が適性検査を受検した際の偏差値を正確に計測するとすればグラフはきれいな45度線を描くはずですが、問題Bの正答率が上がり始める閾値あたりから上方にシフトし、適性検査での偏差値に対して模試偏差値は過大に計測されるのです。

 

<正答率の不確実性が鍵>

たしかに

「千葉県の適性検査問題が非常に難しいにもかかわらず、模試の問題が易しい、あるいは質的に本番の検査問題と乖離してしまっているために、その模試で計測される偏差値がモノサシとして上手く機能していない。」

ということはキレイに再現されました。

しかし、上記だけでは「模試偏差値と合格率の無相関性」は再現されません。無相関性を再現するために決定的に重要なのは、実は「正答率の不確実性」なのです。

以下、順を追って見て行きましょう。

 

シミュレーションでは、 

  • 問題Aには正答率の不確実性は存在せず、いつでも能力値によって決定される期待値通りの正答率が実現する
  • 問題Bには正答率の不確実性があり、いつも期待値通りの正答率が実現するとは限らない

と仮定し、問題Bについては不確実性の大きさを表すパラメータを設定しました。

 

この不確実性を表すパラメータは、能力値ごとに異なる設定をしており、「問題Bの正答率の伸びが高い能力値(偏差値60から70;グラフ横軸の1から2に相当)に位置する受検者ほど値が大きくなるような設定になっています。

 

https://moro241.files.wordpress.com/2018/06/pcagrowth1.pdf

 

<段階的シミュレーション>

「模試偏差値と合格率の無相関性」を生み出す最大の要素が何かを調べるために、正答率の不確実性を表すパラメータについて、以下のように段階的な設定を行い、合格率のシミュレーションを行います。

 

  1. 不確実性は存在しない
  2. 問題Bの正答率に小さな不確実性を仮定(但し、不確実性は能力値に関わらず一定)
  3. 問題Bの正答率に大きな不確実性を仮定( 但し、不確実性は能力値に関わらず一定)
  4. 問題Bの正答率に小さな不確実性を仮定(不確実性は正答率の伸びに比例)
  5. 問題Bの正答率に大きな不確実性を仮定(不確実性は正答率の伸びに比例)

 

無相関性が、「正答率の不確実性が大きい中で一発勝負を行わなければならない」ことと深く結びついていることが想定されるため、合格率を計算する際のシミュレーション回数は5回と設定しました。

 

 <シミュレーション1>

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正答率に不確実性がなければ、今回のシミュレーションは「1000人の受検者のうち、上位12%以内の人が合格する。」というものですから、最初から合格する人は「真の偏差値」で62以上の人と決まってしまいます。

ですので模試偏差値区分別の合格率に関するボックスプロットも、模試偏差値区分55〜60までは合格率0%でフラット、模試偏差値区分60〜65の区分では合格率0%から100%までばらけ、模試偏差値区分65〜70の区分より大きくなると100%でフラットな形状となります。

 

<シミュレーション2>

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 <シミュレーション3>

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<シミュレーション4>

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不確実性を入れることで各偏差値区分の合格率に散らばりが発生します。不確実性の大きさによってボックスプロットの幅が小さかったり大きかったりしますが、偏差値区分と合格率の関係は比例関係を保っています。

<シミュレーション5>

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 偏差値60から70の区分で模試偏差値と合格率のあいだに関係性が見られなくなっています。

 

以上のことから、模試偏差値のモノサシとしての適切性だけでは模試偏差値と合格率の無相関性を再現することはできず、「能力値別正答率の不確実性」と「不確実性の不均一性(特定の模試偏差値ゾーンで不確実性が大きくなる)」の両方が必要となることがわかりました。

 

それではこの、能力値別正答率の不確実性」と「不確実性の不均一性」は何故起きるのでしょうか?

次回はシミュレーションから離れて、このことについてじっくり考えてみることにします。

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

読解力って何?(その2):シミュレーションを用いた分析

【基礎的読解力調査における興味深い特徴】

 前回、新井氏の著作「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」から、新井氏が実施した基礎的読解力調査における「イメージ同定問題」の能力値別正答率と、適性検査模試における模試偏差値と東葛中への合格率の関係との類似性についてご紹介しました。

 

 「イメージ同定問題」とは、「文章の正確な理解力に加え、図やグラフの意味を読み取る能力」を測るための問題であり、新井氏によれば、主語と述語、修飾語と被修飾語の関係を問うような「係り受け問題」などと異なり、現在のAI技術ではまったく歯が立たない分野です。

 

 新井氏によれば、すでにAIが得意としつつあるような係り受け問題では能力値と正答率の関係が右肩上がりとなりますが、イメージ同定問題では非連続的な関係、すなわちある閾値以下の能力値では能力値に関わらず正答率は横ばいで、閾値を越えると正答率が能力値に比例する関係が見られるということです。

 

 上記が、適性検査模試受験者の偏差値別合格率に見られる、

 

・模試偏差値70以上はかなり高い合格率になる

・模試偏差値60から70未満については、合格率は偏差値によらず50%近辺となっていて偏差値と合格率の間に有意な関係性が見られない(無相関)

 

という特徴に似ている点に私は興味を持ちました。

 

【模試偏差値と合格率の無相関性】

 私はこの、「模試偏差値と合格率の無相関性」こそが千葉県適性検査に挑戦するご家庭の悩みの根源であると同時に、千葉県適性検査にある種の畏敬の念をもたらしているものであると考えています。

 

 それは、お子さんの努力の方向性が正しいのか、あるいはそもそも「努力は報われるのか?」という不安を惹起しますし、また一方で、非常に訓練された私立中学受験組でも容易には合格できない検査として認知され、「単純に偏差値では測れない学校」との評価をもたらしているように思います。

 

 そのような観点から、この「模試偏差値と合格率の無相関性」を生み出しているものを是非とも解明してみたいと考えるわけです。

 

【無相関性のメカニズムをシミュレートしてみる】

  そこで今回は「模試偏差値と合格率の無相関性」を解明する方法としてその数量的な関係について仮説(モデル)を立て、シミュレーションを行ってみました。

 

  この、「模試偏差値と合格率の無相関性」を生み出すメカニズムですが、まず最初に、

 

<受検者の能力の散らばりかたに関する仮定> 

 まず受検者の能力に関して、

 「試験、検査を受ける人は固有の能力を持っていて、その能力を数値化できる。」

と仮定します。

 横軸に能力値、縦軸に各能力値を持つ人の数をとってグラフにしたものを度数分布と呼び、その背後にあってその度数分布を生じさせるメカニズムを「確率分布」などと呼びますが、ここではこの能力値の度数分布は平均値付近でピークをつけてなだらかな左右対称の裾野を持つ富士山のような形をしている(正規分布)と仮定します。

 

https://moro241.files.wordpress.com/2018/06/rplot_hist.pdf 

<能力値と正答率との関係が異なる2種類の問題>

 次に、試験、検査を構成する問題には

・能力値とその問題に対する正答率が綺麗に比例するような問題(A問題)と、

・一定の能力値に達するまでは能力値によらず正答率が低く、一定の能力値を超えるとその正答率が能力値に応じて上昇するような問題(B問題)

の2種類がある

 

https://moro241.files.wordpress.com/2018/06/logit.pdf

と仮定します。

 基礎的読解力調査で言えば、問題Aは「係り受け問題」、問題Bは「イメージ同定問題」に対応します。また、一般的な適性検査模試は問題Aの割合が多い試験、千葉県の適性検査は問題 Bの割合を多く含む検査であると言えるでしょう。

 

<正答率の不確実性> 

 先ほど能力値と正答率の関係に関して仮定を置きましたが(モデル化)、これはあくまで同じ個人が何百回と試験、検査を受けた場合に平均的に現れる正答率(これは「期待値」などと呼ばれます)であって、実際には出題された問題に対する得意・不得意や当日の精神状態、体調に応じて正答率は変化するものと考えられます。

 自身の経験と長女の受検を通じて得られた知見から、問題Aのようなタイプの問題はこの正答率の不確実性が比較的小さく、期待値通りの正答率を得られやすいと考えます。今回のシミュレーションでは思い切って、問題Aには正答率に関する不確実性はない(いつでも期待値通りの正答率が得られる)と仮定してしまいます。

 また同様の知見から、問題Bのようなタイプの問題は正当率の不確実性が高く、それはとりわけ、正答率が大きく伸びる時期(以下のグラフを参照)において言えると考えます。

 

https://moro241.files.wordpress.com/2018/06/pcagrowth1.pdf

 今回のシミュレーションでは問題Bの正答率に関する不確実性は、正答率の伸びに比例して大きくなると仮定します。

 つまり、上のグラフで言えば、正答率の伸びの低い能力値0(偏差値50に相当;平均的な能力)以下の人や、あるいは逆に能力値が3(偏差値80に相当;かなり突出した能力)を超える人に正答率の不確実性はほとんどないのですが、正答率の伸びの大きい、能力値1から2(偏差値60から70に相当)の人の正答率は不確実性が大きく、一回一回の正答率が大きく変動すると仮定します。

 

<模擬試験及び適性検査における問題A、Bの割合>

 長女が受検した際に受けた模擬試験や本番の検査、千葉県の過去問等から、

模擬試験    :問題A 8割、問題B 2割

本番の適性検査 :問題A 2割、問題B 8割

と仮定します。

 

<適性検査における合否判定に関する仮定>

 適性検査における合格者数は定員80名に、繰上げ合格の推定人数40名(ゆず母さんの推定を参考にしました。繰上げ合格人数に関してはゆず母さんによる直営校合格者人数に関する実地調査の結果を勘案すると多少のブレがあるかもしれませんが、

直営校行脚 - white board

とりあえず40名と置いています)を加えて120名、受検者全体の上位12%と仮定します。

 

<シミュレーションの目的>

 上記のような仮定の下で、さらに細かな調整(「パラメータのカリブレーション」などと言います)なども行って模試偏差値別の合格率をシミュレートし、適性検査模試受験者の偏差値別合格率に見られる、

 

・模試偏差値70以上はかなり高い合格率になる

・模試偏差値60から70未満については、合格率は偏差値によらず50%近辺となっていて偏差値と合格率の間に有意な関係性が見られない(無相関)

 

という特徴が再現できるかどうか?つまり、

「上記のような仮定に基づくモデルはおおよそ正しいのかどうか?」を確かめること。

また、特徴を再現するために行った細かなパラメータの値などから、

「無相関性を生み出すメカニズムのうち、最も重要なものはなにか?」を知ることが今回のシミュレーションの目的です。

 

【シミュレーションの結果】

<シミュレーションの概要>

シミュレーションの概要は以下の通りです。

1)1,000人の受検者を想定し、各受検者に能力値を割り当てる。

2)能力値と問題A、Bの正答率に関する仮定、正答率の不確実性に関する仮定、適正検査模試における問題A、Bの比率に関する仮定に基づき、1,000人の受検者の模試偏差値をシミュレートし、決定する。

3)能力値と問題A、Bの正答率に関する仮定、正答率の不確実性に関する仮定、適正検査における問題A、Bの比率に関する仮定、本番適性検査における合否判定に関する仮定に基づき、1,000人の受検者の合否を判定する。

4)上記3)で得られた合否情報と、2)で得られた模試偏差値情報を用いて、模試偏差値ランク(模試偏差値60-65等模試偏差値を5刻みでランク分け)別の合格率を計算。

 

<シミュレーション結果>

 長女が受検した際、公中検模試が提供する模試偏差値ランク別の合格率は、たった1回の受検結果(サンプル数=1)に基づくものでした。めでたく三期生を迎えた現在でもサンプル数はようやく3になったにすぎません。

 そこで、まずは上で述べたシミュレーションを3回繰り返した場合の模試偏差値ランク別の合格率の散らばりかたを、ボックス・プロットで示すと以下のようになります。

https://moro241.files.wordpress.com/2018/07/simu.pdf

 ボックス・プロットとは変数の散らばり具合を、度数分布よりもより要約された記号として書き表したものです。より深くご存知になりたい方は、以下リンクをご参照ください。

箱ひげ図 - Wikipedia

 ボックス・プロットの横軸は問題Aが8割を占める適性検査模試を受けた際に得られる模試偏差値の区分であり、縦軸は当該区分に属する人たちの適性検査合格率を表します(例えば同区分"60"のところに示されているボックス・プロットは模試偏差値55〜60に位置する受検者の適性検査合格率の散らばりを表します)。

 ボックス・プロット内にある"+"印は当該模試偏差値区分に属する受検者の適性検査合格率(あくまでシミュレーションベースでの合格率ですが)の平均値です。

 この平均値を読み取ってみますと

 模試偏差値55〜60 :26%

 模試偏差値60〜65 :47%

 模試偏差値65〜70 :48%

 模試偏差値70〜75 :64%

 模試偏差値75〜80 :90%

と、偏差値60〜70の区分で模試偏差値と合格率の無相関性が再現されていることがわかります。

 また、シミュレートされた適性検査における正答率の散らばりは以下の通りです。

https://moro241.files.wordpress.com/2018/07/dist.pdf

 若干、ボーダーラインが下の方へ寄ってしまっており、また80点台にある高得点組の分布の塊についてはやや高得点に寄りすぎていると考えますが、100点満点換算で「平均点20点台、ボーダーライン50点前後」と言われている適性検査の得点の散らばりをうまく表現しており、私が持っていたイメージをうまく再現できていると考えます。

 度数分布から視覚的に読み取れるように、千葉県の適性検査は「解ける人、解けない人」がはっきりしており、少なくとも「解ける人」を、たった1,2問の問題のミスで「落としてしまう」という、検査をする側にとっての不幸が起きにくい検査だと言うことができます。つまり、ボーダーライン近辺に受検者が密集していないため、得点が数点動いても大した順位の変動が起きません。

 このことは、仮に千葉県の適性検査が模試のような内容(問題Aが8割、問題Bが2割)だった場合に、先ほどの正答率の散らばりがどうなるかを示す、以下のグラフを見るとその違いがよくわかります。

https://moro241.files.wordpress.com/2018/07/dist2.pdf

 また逆に、適正検査の場合は、偏差値60〜70というボリュームゾーンにおける努力の差がはっきり表れないというデメリットがありますが、このゾーンに関して言えば、適性検査が重視していると考えられる問題Bの正答率が大きく変動する「成長過程にいるゾーン」(前掲のグラフ「能力値別正答率と正答率の伸び」をご参照ください)であり、例えば検査時期があと1ヶ月先であったら順位がどう入れ替わっているかわからないゾーンですので、検査を行う側としては、「ちょっとしたミスが勝敗を分けるような精緻な計測を行うよりも、幅広に受検者を集め、合格者の適性・能力の分散化を図る」ことを重視しているのかもしれません。

 

<一発勝負では発揮されない"真の力">

 構造変化のない、同じメカニズムから生み出される変数の平均値は、サンプル数を多くとればとるほど、その背後にある"真の値"に近づいて行きます。

 模試偏差値区分と適性検査合格確率について、先ほどは少ない試行回数のもとでのシミュレーション結果をお見せしましたが、例えば試行回数を10,000回に増やすとどうなるでしょうか?

https://moro241.files.wordpress.com/2018/07/simu2.pdf

 試行回数を増やすと上のボックス・プロットの通り、模試偏差値区分と合格率は右肩上がりの関係となり、無相関性は観測されません。ちなみに合格率の平均値は

 模試偏差値55〜60 :27%

 模試偏差値60〜65 :46%

 模試偏差値65〜70 :55%

 模試偏差値70〜75 :64%

 模試偏差値75〜80 :94%

となっています。

つまり、「千葉県の適性検査はそれなりに解く力を持っていても、正答率の不確実性がとりわけ模試偏差値60〜70程度の力を持つ階層において大きいために、一発勝負の試験では模試偏差値60〜70程度の力の差は、正答率の不確実性に対して十分大きいとは言えず、結果的に合格率の差に現れてこない。」と結論づけることができそうです。

 

以上、様々な仮定の上に立ったモデルを用いて千葉県適性検査の特徴について考察を行ってみました。この「モデル」というものは非常に便利で、いろいろな考察を導いてくれますので、次回もこのモデルを用いた考察を行ってみたいと思います。