なぜ「受検」だったのか?あらためて考えてみる:その③

卒業研究レポート集から描く「東葛中生像」

アングリスト・成田論文が読み応えあり、読了に時間がかかっているため、今回は閑話休題ということで、東葛中生が3年時に課される卒業研究レポート(卒業論文)集を手がかりに、東葛中生の具体像に迫ってみたいと思います。

 

卒業論文タイトルのワード・クラウド表現

東葛中では、中学3年時に卒業論文(卒業研究レポート)の作成指導があり、卒業までに論文を完成させます。

以下は第二期生の卒業論文タイトルに含まれる名詞、形容詞をその出現頻度(同一論文タイトル内での重複出現は頻度の計算に含まれない)に応じて文字の大きさ、位置などを調節して示す「ワードクラウド」と言う手法を用いて表現したものです。

 

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卒業研究レポート標題のワードクラウド表現
(出典:「第2期生卒業研究レポート集」より作成)

頻度といっても高々80弱のしかも論文タイトルの中での出現頻度ですのであまり多くの含蓄を持たせることは出来ませんが、それでも以下のような傾向を読み取ることができます。

ワードクラウドから読み取る東葛中生の問題意識・関心事項

論文タイトルの頻出語は「法」、「関係」、「効率」、「実現」、「人」、「東葛」、「必要」、「ため」、「差別」。

最も出現頻度が高い「法」ですが、これは「法律」ではなく、必勝法、治療法など「メソッド」の意味で使われているものです。また「差別」は「差別意識」など英語で言うところのdiscriminationのほか「差別化」すなわちdifferentiationという意味でも使われています。

上記頻出語を使い、論文タイトルの特徴をまとめると、

  1. 「効率」性や「差別」化、その他何かを「実現」する「ため」に「必要」な条件や「メソッド(法)」を追求する目的意識の強い論文
  2. 上記目的意識から一歩引いて自分の興味・関心対象の「関係」性を観察・考察した論文

の二系統に分かれ、その目的、対象はワードクラウドにある通り実に様々ではあるけれど、主要なものとしては「人」、「東葛」中という事になります。

東葛中生意識と不可分なプレゼンテーションへのこだわり

卒業論文では東葛中生や東葛中学について論じたものが多かったのですが、「東葛中生」と不可分に結びついたテーマとして「プレゼンテーション」に関する差別化、能力向上またはそのために必要な要素などに触れた論文も多く見られ、「東葛中生」としてのアイデンティティと「プレゼンテーション」が不可分に結びついている印象を受けました。

この点に関して、論文集でも

  • 総合に英語、社会、国語など分野を問わずしてプレゼンテーションを用いた授業が多いのが東葛飾中学校の特徴。
  • この東葛飾中学校は、授業に非常に多くのプレゼンを組み込んでいる学校であり、「何かあったらプレゼン、何もなくともプレゼン」というフレーズがそれを物語っている。
  • 東葛飾中学校生徒は自らの意見を発信する意欲に溢れており、普段の何気ない会話や授業でのディベート、発表による意見の交換など東葛飾中学校の毎日はプレゼンテーション三昧だ。
  • 自分はプレゼンテーションが苦手で、テレビCMから伝えるために必要な要素を見出し、プレゼンテーションに活かそうと考えた。

と言った趣旨の内容で表現されており、テレビから流れるCMを見ていてもふとプレゼンに思いを馳せてしまうほど日々の学校生活において切っても切れない関係にあり、プレゼンテーションに東葛中生のアイデンティティ東葛中生=プレゼン)を感じている様子が窺えます。

東葛中生=プレゼンの具体例

コロナ禍で学校行事の中止・縮小などが続き、直近過去年度や今年度にその機会があったのか、あるのかわからないのですが、東葛中の学園祭は東葛中生に染み付いたプレゼン魂の発露を体験するとても良い機会ですので東葛中受検を検討されている親御さんにはぜひお子さんと一緒にご来場いただきたいイベントです。

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プレゼン企画教室の様子

 

写真は2019年度の学園祭における、東葛中生個人のプレゼン企画「新選組ブラック企業」での教室の様子です。東葛中の教室にはこのように、投影を想定したホワイトボードとプロジェクター設備が備えられており、中学生たちは実に手慣れた手つきでモバイルPCやUSBメモリー、プロジェクターを操作しながらプレゼンを行います。

プレゼンマテリアルの各ページとは独立に参照する可能性のある京都市街の地図や新選組隊士の写真をあらかじめプレゼン投影の脇に配置しておくなど非常に手慣れた印象を受けます。

プレゼンの進行も聞き手の反応を見ながら堂々としたものであり、自分の好きなテーマについてプレゼンを披露することを楽しんでいる様子が伝わってきました。

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上は生徒たちの企画運営による英語の模擬授業です。東葛中の英語授業は習うより使って慣れろ方式の非常に独特な形式をとっていて、長女は普通ならば中学校に入ると最初に習う「三単現のS」もしばらく知らない(英作文や会話に際して使ってはいたが、文法事項としての「三単現のS」という言葉を知らない)状態のまま、一方でテストでは中学一年生にしては非常に難解な読解問題に取り組んでいました。

このようなユニークな授業に東葛中生は愛着があり、このアクティブ・ラーニング形式の英語授業はプレゼンテーションと並んで東葛中生のアイデンティティの構成要素の一つであったようです。生徒たちによって綿密に企画運営された、学園祭に訪れる親子連れのお客さんたちを巻き込んだ模擬授業は盛況で、東葛中生の実行力にとても驚かされました。

 

日常生活に根ざした問題設定としっかりした方法論に基づくアプローチ

東葛卒業論文集に以下のようなタイプのタイトルがズラリ並んでいたらどうでしょう?

例えば中学生の段階ですでに将来医療保険政策に関わることを夢に描いていて、膨らむ日本の医療保険財政に危惧を抱いており、状況打開策としてジェネリック医薬品の普及率向上に使命感を抱いている。と言うことであれば、上記はその人にとって意味があり、手触り感を持って取り組めるテーマと言えるかもしれません。

しかし、中学生の段階でここまで高度に専門的な領域に興味関心を絞り込んでいる人は例外的なはずで、論文集にこのようなタイプの論文タイトルが並ぶことはまずないでしょう。このような論文タイトルが並んでいたら私は、次のような意味での論文指導の失敗を想像します。

  • 卒業論文とは、普段目にしない小難しいレポート・論文に挑戦し、まとめることでなんとなくアカデミックな香りに触れ、複製することだと生徒が勘違いしてしまっている。
  • 自ら課題設定を行い、先行研究を参照・発展させながら仮説を立て、調査・考察を通じてその仮説を検証していくというプロセスに価値を見出せないか、それを行う十分な時間が確保できないため、大半の生徒があえて上記のような複製で済ませている。

先に論文の対象、目的に該当する頻出語として「プレゼンテーション」、「人」、「東葛」などをあげましたが、ワードクラウドを改めて眺めてみても「柏」、「街づくり」、「ワラジムシ」、「コンビニ」、「駅」など日常生活に根ざしたワードが目立ちます。

実際論文集から幾つか具体的にテーマを拾ってみると、

  1. 15分間で行われる教室の床掃除を効率的に行うための最適な方法の検証・追求
  2. 自宅を含む半径400mの商圏内に7件ものコンビニが立地する理由に関する仮説・検証
  3. 自分が住む街の街づくりや若者の地元定着を促すための方策に関する調査・提言

など日常生活に根ざした手触り感のある論文テーマがズラリと並んでいます。そしてこれらに対して、実にしっかりした方法論を持って取り組んでいるのです。例えば1.の床掃除の検証については以下の通りです。

最適な床掃除の検証・追求で採用された方法論
  • 掃除方法の問題を①用具(ほうき、雑巾)への人数割り当てと②手順に分解する。
  • ②とは独立にまず①を決定してしまう。①の決定はほうき、雑巾それぞれ別個に、割り当てる人数と掃除時間の計測値に基づいて以下数値を最小化する人数として決定する

   一人当たり貢献度の逆数≒ 掃除時間 × 割り当て人数

  • 用具への割り当て人数が決定したら、当該割り当てを前提とした掃除手順(掃き掃除及びゴミを集めのコース;雑巾掛けはほうきの後ろについて拭き掃除を行う)について、各手順にかかる掃除時間の実測値に基づき決定。

私は生産工程のデザインや人員配置といった分野には全く知見のない素人ですが、いくつかの要素が絡み合った問題に直面した時に、独立に切り出して考えることができるユニットに問題を分離し、段階的に決定を行う手法は鮮やか(「分離定理」なんて大袈裟な名前が与えられても良いくらい)ですし、一人当たり貢献度の計算などはそれこそ千葉県適性検査の問題に登場してもおかしくありません*1

他にも、例えば2.のコンビニの立地に関する仮説・検証では、「駅から徒歩20分と一見、立地条件に恵まれていないにも関わらず、自宅を含む半径400mの商圏内に7件ものコンビニが立地している理由」に目をつけるところが秀逸ですし、文献調査に基づく経営戦略的な観点からの仮説を、総務省国勢調査や地理情報システム、経産省の商業統計のメッシュ情報を活用した統計調査を用いて検証していく手法には関心するばかりでしたし、さらに愛すべき物理オタク、化学オタクたちによる大人顔負けの論文(私に知見がないためにここでは紹介できませんが)にはウーンと唸らされました。

改めて考えさせられる、東葛中でのプレゼン・カルチャー醸成の意義

以上、東葛卒業論文集(正式には卒業研究レポート集)を題材に、東葛中生像の一端を見てきました。本シリーズのその②で、「感染動機」に基づく学びと、生徒たちが互いに影響し合う化学反応の場としての学校の役割について触れましたが、卒業論文集から伺える東葛中生の中でのプレゼン・カルチャーの浸透は、「感染」の機会を増やし、化学反応を促進する前提条件を提供するものだと考えますし、また先生方は非常な熱量と努力によってそのようなカルチャーを作り上げてくれているのだと考えます。

以下は中学・高校で教鞭をとりつつ大学でも授業を受け持つ大貫・竹林氏による高等学校段階での卒業論文カリキュラムの導入に関する論文ですが、https://core.ac.uk/download/pdf/144440814.pdf

指導する側については教員自身の論文執筆や指導経験の無さ、論文執筆指導方法の未確立、生徒たちのテーマの多様さを、指導される側については大学進学準備や学校行事との両立に起因する時間制約やモチベーション確保の難しさなどを課題、問題点としてあげています。

東葛中のような中学校段階でのカリキュラム化は、時間制約やモチベーション確保などの観点において、高等学校段階でのそれに比べて時宜を得ていると考えますが、指導する側の負担は相当なものでしょう。

以上の観点からこの試みを見事に導きまとめ上げた先生方には本当に頭が下がるとともに、プレゼンテーションとアクティブ・ラーニングを主軸とした東葛中の特色ある少人数教育の良さ(そのようなカルチャーがしっかり根付いたのも熱心な先生方のおかげなのですが)と、その成果を卒業論文集を通じて実感できました。

最後に、親御さんの中にはこのようなキラキラ系の授業ばかりやっていても結局のところ、最後の最後、難関大学合格という形で成果が出せないと意味がないのではないか?プレゼンやアクティブ・ラーニングはその目的に大した寄与をもたらさないのではないか?と心配される方もいらっしゃるのではないかと思いますが、長女や中学からのその同級生たちをみている限りその心配は杞憂に終わるのではないかと考えています。

高校受験がなく、「部活動を行って良い日」が逆に定められていた東葛中(最近はクラブ活動になってしまったと聞きます)ですが、生徒自らが行う学校行事への対応含め、授業で課される課題やプレゼンの準備ではものすごい量をこなしており、高校受験を控えた公立中学生よりもハードな生活を送っていた印象があります。

そしてそれが当面必要だと考えた彼女たちは高校に入ってからそのパワーの矛先を「受験のための勉強」に変えて結局、ものすごい熱量と集中力、情報収集でバリバリと音を立てるような勢いでこなしているようにも見えます。

そして中学生の時にプレゼン・カルチャーとアクティブ・ラーニングを通じて身につけたものはまた、それが必要な時期を迎えればむっくりを芽を出し、花を咲かせるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

*1:掃除に必要な総仕事量をW、割り当てられた人員の平均的な単位時間あたりの仕事量、すなわち一人当たり貢献度をc、割り当て人数をn、掃除時間をSとするとS=W/cn との関係からSn=W/c、Wは定数なのでSnは貢献度cに反比例するという関係が得られます(cが低下するのは割り当て人数が過剰であるために全体の作業効率が落ちると解釈できます)。