デューイ「学校と社会」を読む その2

前回アメリカプラグマティズムの大家かつ偉大な教育者であり、戦後日本の教育改革に大きな影響を及ぼしているデューイについて、戦後の教育政策の大きな対立軸を形成してきた系統主義教育、経験主義教育とも絡めて紹介を行いました。

 

昨年の学習指導要領の改訂にもみられる通り、現在はゆとり教育への反省に立った系統主義の20年間に位置しますが、当該改訂のバックボーンを貫く「社会に開かれた教育課程」という理念や、教育のHow toに関わる部分での「アクティブラーニング」重視の姿勢は、デューイの教育観や、長女が東葛中で実際に受けている授業とも相入れるものでした。

 

今回は「学校と社会」(以下、「テキスト」と表記します)の中で語られている内容について、私自身の経験に引きつけていろいろと考えてみたいと思います。

 

【教室の形】

テキストには、以下のような記述があります。

 

“生物学者が一片か二片の骨を取って来て完全な動物を再構成することができると同じように、もしわれわれが、醜い机が幾列にも幾何学的に整然とならべられて、できるだけ活動する余地をのこさないように密集させられており、その机たるやほとんどみな同じ大きさで、その上に本・鉛筆・紙などを載せるのにちょうど足りるくらいの広さであり、・・・(中略)・・・といったありふれた教室の風景を心のなかに思い浮かべてみるならば、われわれはこのような場所でおこなわれうる唯一の教育的活動を再構成することができるであろう。それはすべて「ものを聴くために」つくられたものである・・・(中略)・・・ものを聴くという態度は、比較的に言えば、受動的の態度であり、ものを吸収する態度である。・・・(中略)・・・子どもはできるだけ最小の時間にできるだけ多量の教材を取り込めばよいことを意味している。”

 

テキストのこの記述を読んで思い浮かぶのが、会社から通わされた、とあるビジネススクールでの光景です。

 

ありがちな会社の思いつき?なのか、私はクリティカルシンキングを日本でいち早く広めた某ビジネススクールの単科(もちろんクリティカルシンキング)コースに、貴重な土日を削って通わされることになりました。

 

気乗りしない気分で教室に足を踏み入れた瞬間目に飛び込んできたのは、これまで通ってきた学校とはまったく異なる教室の風景です。

 

教室には整然と並べられた机の列の代わりに六脚の椅子で縁取られたテーブルが6つほど離散的に配置され、

 

その周りを大小のホワイトボードが取り巻いていたのです。

 

その理由を知るために、「クリティカルシンキング」(以下、「クリシン」と表記します)というものについて簡単にご紹介します。

 

クリティカルシンキングとは】

クリシンとは、「『健全な批判的精神を持った客観的な思考』を実現し、物事を正しい方法で正しいレベルまで考えるための体系的な方法論」であり、①イシュー(議題)の特定、②抜け漏れのない枠組み設定、③初期仮説の構築、④仮説の検証・進化、⑤結論の導出、という課題解決ステップを踏む。
上記5段階の課題解決ステップのうち①~③は論理的な思考を実現するためのフレームワークまたはプロトコルであり、③~⑤は当該プロトコルの下で思考力を発揮し、結論へと迫って行く部分と言える。
また、③~⑤は根拠→主張の関係に支えられた論理の「ピラミッド・ストラクチャー」を構成しており、相手の認識/関心/反応に合わせて適宜組み替えを行うことで効率的・効果的なコミュニケーションを行うために利用することができる。

 

【クリシンに最適な学習形態と教室の形】

但し、クリシンそのものは思考をより良い方向に導くためのフレームワークに過ぎず、その効果は可視化された思考の繰り返しによる経験則の蓄積を伴って初めて現れるから、最適な学習形態は「座学」ではなく、実際に特定のイシューについてグループワークを行い、意見を交換しあう「アクティブ・ラーニング」の形式をとることが必須であるといえる。

 

つまり、クリシンを学ぶことを主目的とするビジネススクールの授業は本来的に座学よりもグループディスカッションを通じた相互学習を目的としていて、そのような目的が整然と並べられた座席よりも離散的に配置された長テーブルを、唯一の黒板よりも、長テーブルを取り巻く分散配置されたホワイトボードを選択させているのだと後で理解しました。

 

【学校教育とディスカッション】

これまでデューイの経験主義的教育論を述べてきましたが、私自身、ベビーブーマー世代の苛烈な系統主義的教育観の中で育ってきた古い世代であり、クリシンなんてものは

・なんら専門知識もない人が

・答えのない議論をすることで

・自己満足だけを持ち帰る

カモがネギを背負って学校の利益に貢献する場所という意識を捨てきれずにいました。しかしその想いは すぐに捨て去ることになります。

 

典型的な日本の学校教育を受ければ受けるほど、生徒はディスカッションに不向きになって行きます。

 

限られた時間内になるべく多くの知識を詰め込む授業は予期されない生徒からの質問を排除する方向に働きますし、

 

黙々と情報を受け取ることに慣れた生徒は、先生・生徒及び生徒・生徒間のコミュニケーションがより深い知見を先生やほかの生徒から、そして何よりも自分から引き出すことに役立つという事を知りません。

 

そのことに加えて、

 

先生からの問いには常に「模範解答」があり、なるべく模範解答に近い発言をしなければならない。

 

人の発言には格付けがあり、品格のないつまらない発言をするのは恥ずかしい事である。

 

といった考えが働いて、そもそも出来ないことがあるから学校に学びに来ている、つまり「出来ない」ところから始まっているはずなのに、授業での発言を通して少しでも周りの人より「出来ると思われたい」という意識を持ってしまいます。

 

【実効性を上げるための学校の方策】

ビジネススクールの先生方は

・授業の実効性を高めるものは何よりも闊達な議論であり、

・その闊達な議論をする上で先述したような思考回路から導かれる「量より質」、「模範解答」というような考え方が邪魔になる。

という事を理解しており、授業初日はこれを打ち砕く事から始まりました。

 

それは、

・クリシンは「質より量」

・(仕事場と異なり)学校はリスクフリー空間

という言葉であり、

「質より量」を体験するためのグループワークであり、

授業の後の盛大な飲み会であり、

卒業生による世話役の配置

でありました。

 

特にグループワークで経験したことは、系統主義的な学習観を砕く上で非常に効果的でした。初日の授業での最初のグループワークは、ある設定の下で「レストランの売り上げを上げるための方策を、7分間のグループワークで20以上挙げよ。」というもので、事前に配布されたハンドアウトにも予習課題にもない即興課題でありました。

 

初日に出会って数分後の仲間と時限を切られた、一見不可能な課題に取り組む際には、先ほどの「量より質」という考えはどこかへ吹き飛んでしまいます。

 

まずもって「模範解答」的なアイデアなんてものは殆ど新奇性のない最大公約数的なものですから、メンバー間で持ち寄っても重複が多くて数が稼げません。

 

結局、自分とは違う視点を持った誰かが出す新たな論点を深掘りしながらお互いの意見を玉突きで次々展開していくしかないのです。

 

そしてその最中にも、脱線をしないよう常にイシューに立ち返り、自分たちの立ち位置が適切かどうかをチェックしながら進める必要がある。

 

しかしその結果、課題はあっさりとクリアされました。

 

 【授業を通じて学んだこと】

この作業を通じて私は、

・一個人が自己完結した環境の中で考えられることの狭さと

・視点の異なる他者とのアイデアのぶつかり合いが、いかに他人の、そして自身のポテンシャルを引き出すのに役に立つか

 

を学びました。そしてその学びは、その後週末を使って三カ月続いた授業の中で深められて行きました。

 

2017年3月に将棋の現役名人に勝利した将棋ソフト「ボナンザ」。「機械学習」、「深層学習」という手法を用い、自ら学ぶことができるボナンザの強さの秘密は、将棋ソフト同士で行う700万局にも及ぶ対局からの学びにあると言われています。

生身の棋士が生涯に行う対局数は10万局と言われていますが、ボナンザはその70倍の対局を行なっているわけです。

 

そんな将棋ソフトが指す将棋について対局を行った名人は

「将棋にはまだこんな手もまだ残っていたんだ」、「これまで人間がやってきた将棋とはまた別の銀河があってもおかしくはない」

と感じたと言います。

人の認知を広げ、可能性を開いていくのは自己完結的な学びではなく、より多くの自分と異なる考えとのぶつかり合いとその中での学び、気づきにあると言えるでしょう。

 

東葛中で行われているアクティブラーニングを活用した学びについて「自己完結させない学び」という捉え方をし、その価値に賛同する背景には、これまで述べたような経験が背景にあるわけです。