東葛中高の六年間に望むこと
東葛中に入ったは良いが、果たしてその効果はどうなのか?
教科によっては教え方が独特(ある意味のんびり)で、高校受験に向けて一年生からバリバリ勉強している公立中、大学受験を見据えて先取り学習を行っている有名私立中の子達に大きく差をつけられてしまうのではないか?
東葛中受検を検討されている、あるいは既に東葛中に通うお子さんを持つ親御さんの中には、このような不安を抱えていらっしゃる方も少なからずおられることかと思います。
そのような不安をネットでのやや偏向した書き込みがさらに煽り立てます...
最近のゆず母さんの記事はそのような不安を持つ親御さんのお気持ちに応えようとする内容のものでした(お互い精いっぱい東葛中生、東葛中受検生を応援しましょう!)。
私自身は冒頭書いた事柄について全く不安に思っていません。特に、
(1)高校受験に向けてバリバリ勉強している
(2)大学受験を見据えて先取り学習をしている
という点については全く関心がありません。
【高校受験にむけてバリバリ?】
高校進学時に再受験を行う必要のない中高一貫校である東葛中の最大の特徴は、
「高校受験をしなくても良いこと」
なのですから、
「高校受験のためにフォーマット化された」
勉強なんてバリバリする必要はありません。
むしろ6年間というまとまった時間を使って、「高校受験」という中間目標が存在する場合には出来ない「ムダな勉強」をいっぱいしておいて欲しいわけです。
【大学受験に向けて先取り?】
「大学受験に向けた先取り学習」と書くと一見、中高一貫教育にしか出来ない事をしっかりやってくれているように聞こえますが、大学受験って6年間も面倒見てもらわなければ上手く行かないものでしょうか?
私は高校3年間に、せいぜい浪人の1年間が加われば十分だと考えています。
確かに浪人してしまうと余計にお金がかかってしまいますが、「現役ストレートでない」事がその先の人生を不利にするなんてことは私が見聞きしてきた限りありません。
私自身、会社入りたての頃に新卒のリクルーターをやっておおいに感じた事ですが、一年や二年そこらの浪人・留年なんて選ぶ側にとってなんてことはありません。時間がかかったなりに得ているものがあればそれでいいのです。
【勉強を自己完結させない授業】
長女の授業参観や学園祭を見に行ったことはありませんが、長女が取り組む課題や宿題を観察すると、「勉強を自己完結させない」ことが特徴の一つであることに気付かされます。
つまり、グループワークや、クラスでの発表を前提とした「アクティブ・ラーニング」形式の課題が多いのです。
そのような課題に「範囲」なんてありません。長女は発表のために時には高校・大学で習うような事柄を理解する必要がありますし、それを中学一年生にも分かるように説明しなければなりません。
自己完結的に決まった範囲の知識を溜め込むのではなく、仲間との協働の中で役割分担に応じて自分で情報を集め、咀嚼し、伝える相手の顔を見ながら効果的な方法を選んで伝えて行く。
そしてそれは「先取り」ということではありません。
そもそも「先取り」って何でしょう?「先取り」という言葉は学習の範囲が予め決まってしまっているような窮屈な環境で初めて生まれてくるものではないでしょうか。
【中高一貫校と中だるみ】
私の通った学校含め中高一貫校には「中だるみ」という言葉があり、中学二年生後半から高校二年生前半位までの時期は皆、本当に勉強をしません。
その中で所謂難関大学や国公立の医学部に合格するような子たちがその「中だるみ」の時期に計画的、効率的に勉強をしてきた子かと言うとやはりそうでもないと言うのが、限られた私の経験に基づく考えです。
私の通った学校も御多分に漏れず、高校入試(高校受験で入ってくる生徒が1/4ほど)で偏差値がグンと上がります。
中学入学組が中だるみでボーっとしている間に、高校入学組はしっかり勉強して入学してきているわけです。
それでも、いわゆる難関大学に進学する子の大半を高校からの進学組が占めているかと言うとそうではなくて、逆に超難関に進学する子は、「中だるみ」で中学時代弛緩しきっていた中学入学組がほとんどでした。
これは個人差のある話ですが、そういう子は中だるみからの切り替わりもメリハリが効いていて、高校二年生の夏休み前くらいから顔つきが変わってきます。
・高校から付き合い始めた彼女が高校入学組で、彼女に追いつきたくて勉強を一生懸命やるようになった
・将来医者になりたいと考えたが、私大医学部の学費は出してもらえないので、国公立大医学部を目指すしかなく、一念発起した。
きっかけはいろいろですが、この時期に立ち上がった子達はしっかりと目標をクリアしている子が多いのです。
【ムダな勉強】
上述した事柄から思うのは、本人にシッカリした目標と動機があれば、大学受験のためだけに特化した勉強を行う時期は正味三年もあれば十分だということです。
であれば、それ以外の時間は多いにムダな勉強をしておいて欲しいわけです。「そんなのテストに出ないよ!」っていう勉強を、自分の興味に従って追求する。
例えば私の場合、中学二年生から高校一年生にかけて、部活とは別に、ダンジョンズ&ドラゴンズというロール・プレイング・ゲームにはまりました。
ロール・プレイング・ゲームと言ってもそれはドラゴンクエストのようなテレビゲームではなく、世界設定と細々としたルールだけが決められていて、ゲームそのものはダンジョン・マスターという「ストーリーテラー」がそれらの設定・ルールを用いて自分で作り出す、一種のボードゲームなのです。
当時は輸入玩具店にしか置いてなくて、入門編を卒業してより発展的なレベルへ進むためのルールブックは英語で書かれた原書を読むしかありませんでした。
先取り学習なんて言わなくても、腕の良いダンジョン・マスターになるために、みなその原書を辞書を引き引き読みこなして行くわけです。
また、ダンジョン・マスターにはプレーヤーを惹きつけるストーリーの創造と、そのストーリーを伝える巧みな話術、プレーヤーのレベルに合わせた負荷(冒険)を適切に配置する計算力が求められます。
腕の良いダンジョン・マスターになるためには、リアリティのある世界設定が重要で、近年映画化されて話題となった「指輪物語」を読んだり、百科事典で西洋の様々な鎧・兜や武器について調べたりしました。
腕の良いダンジョン・マスターの見返りは何か?それは昼休み、食堂のあちこちで開かれるロール・プレイング・ゲームのブースに人だかりを作る事でした。
余談になりますが、私たちの世代にとってキング原作の映画、「スタンド・バイ・ミー」は特別な郷愁を誘う映画の一つでしょう。
映画の中には想像力豊かで物語を紡ぎ出す才能に恵まれたゴーディという少年が登場し、家庭環境の複雑な少年4人組の中でちょっとした時間に皆を想像力の草原にいざない、日常の鬱屈や将来への不安、恐怖から解き放つ「ストーリー・テラー」の役回りを演じます。
私は想像力や知力のこのような使い方、寄り添い方にとても深い憧れと、畏敬の念を感じるのです。
映画の中でゴーディは、リバーフェニックス演じるクリスから「物書きの才能を伸ばすように」と励まされ、長じて作家になります。後ほど「長い付き合い」の項でも触れますが、普段の表面的な付き合いから一歩踏み込んだ関係性の中で得られた、些細だけど手応えのある感触は、「中だるみ」から巣立っていく際の踏石として重要な役割を果たしているように思います。
閑話休題。
ダンジョン・マスターにも様々なタイプがいて、デザインセンスを生かしてカッコいい武器、鎧、兜のリストやワクワクするような古地図を作る子、「剣と魔法の世界」を高校生活に持ち込んで、文才を生かして今で言うティーンズ向け小説のような世界観を作り上げる子。ダンジョンズ&ドラゴンズが描く「剣と魔法の世界」のディテールにこだわる本格派。
今から振り返って考えてみると、自分はこの遊びを通じて、今長女がやっている「アクティブ.・ラーニング」をやっていたんだなと考えます。
つまり、伝えるために学習指導要領にとらわれず学び、伝えたい相手の顔を見ながら効果的な仕掛けを配置しつつ語り、プレーヤーとの共同作業をしながら同じ丸テーブルを囲む時間を盛り上げて行く。
こんな「ムダな勉強」で溜め込んだ贅肉が、その後の受験勉強を乗り切る際の、少しばかりの知的余裕とエネルギーを与えてくれたように思います。
【長い付き合い】
それから、「ダンジョン・マスターが見せた意外な文才」のような部分を認め合うこと。これはとても大事な事であったと考えます。
学校での授業や運動、組織行動を中心とする部活動、これらの局面でうかがい知れるものは人間の能力・活動のほんの一面に過ぎません。
その向こう側に広がる様々な可能性の一端に触れ、認め合うことが出来たことは素晴らしい経験です。
はっきりした目標と心からの動機を得て「中だるみ」から巣立っていく子たちはその瞬間、外側からは一見わかりにくい自分なりのこのような強みをテコにしていることが多いように思います(抽象的な表現ですいません)。
そしてこのような強みを認識していない人からすれば、その子の変貌ぶりが理解できず、拒否反応を示すか、「天才」という言葉を使って思考停止するかどちらかです。
でも、学校のテストや運動能力、組織行動能力(例えばブラバンなど文化系の部活で、顧問の示す課題を忠実に実行し、軍隊並みの規律行動にしっかりついていける能力を想定しています。)では窺い知れないその子の良い面をつぶさに見ている仲間たちはその子の成功方程式を理解することが出来、それは自分達にもできることかもしれないと考えることができます。
【成功方程式の連鎖】
そのような理解が、仲間うちの一人が目覚め、「中だるみ」から巣立っていったときに僕も、私も、と続く成功方程式の連鎖を生むような気がしてなりません。
中学高校の6年間は人生で最も深く相手を知りたいと願い、影響しあう6年間です。そのような6年間の付き合いの中で、表面的なスペックの奥にある可能性を認め合うこと。このような経験を是非積んでいって欲しいのです。大学受験に特化した勉強なんて正味三年あれば十分。それよりももっと大事な「ムダな勉強」を大いにやってもらいたい。
幸い、東葛中高にはそれを実現するのにうってつけの仲間たちが集まっています。「試験問題は学校の顔」。あれだけオリジナリティに溢れててかつチャレンジングな適正検査を堂々突破して集まってきた仲間たち。きっと素晴らしい6年間を過ごせるはずです!